文化財情報検索

博多松ばやし 博多区

印刷する

指 定 県指定
区 分 民俗文化財
種 別 無形民俗文化財
所 在 地 福岡市博多区上川端1-41 櫛田神社
時 代 現在
所 有 者 博多松囃子振興会

紹介文

 現在5月3日・4日の〝博多どんたく〟の中で行なわれている〝松ばやし〟は、本来は小正月(旧正月15日)の行事で、新しい年に祝福をもたらす歳神を迎える民俗行事の芸能化したものである。〝はやす〟は、分割する、切ることをいう祝いことばで、〝殖やす〟に通じ、その年の繁栄を祈って山から神の依代である松を伐って家に迎え入れるのを〝松ばやし〟と呼んだ。そうして先行する民俗行事があって、年木を祭場に携える形に意匠化が進み、いつか〝はやし〟を歌舞音曲の意に解して、芸能としての〝松ばやし〟が生まれたのであろうといわれている。室町時代が最盛期で、『看聞御記』や『満済准后日記』などには、正月3日から15日にかけて、村々の地下人・公卿侍・大名などが徒党を組んで、宮廷や幕府・豪家を訪問して、七福神の舞・鶴亀舞などを舞い、趣向をこらした作り物を出して興を添えたことが記されている。博多松ばやしは、こうした中世芸能の数少い残存の一つである。
 伝承では、博多がかつて平家の対宋貿易の基地であったことから、治承3年(1179)に没した平重盛を追福するために始まったといわれているが、室町期に博多を領した大友・大内両家の影響を受けて博多町人の年中行事になったとも考えられる。文献では『宗湛日記』に、文禄4年(1595)10月29日、小早川隆景が名島城で「正月ノ如ク仕立テ」た松ばやしの訪問を受けた、とあるのが初見である。
 この博多松ばやしも華美に流れたことで、明治5年廃止令が出されたが、その後〝どんたく〟の行事として復興、期日の変更を経て昭和25年から現行の5月3・4日になっている。
 松ばやしは、福神・恵比須・大黒の三福神と、稚児・通りもんからなり、福神は魚町流、恵比須は石堂流、大黒は州崎流、稚児は東町・呉服町、西町、土居の各流が受持つ。三福神はそれぞれ馬に乗り、かるさん肩衣の子供たちが太鼓を叩いて言立てを唄え、同じ姿の大人達が笠鉾を立ててこれに続く。稚児は天冠をかぶり舞衣・緋袴姿で仮閣に乗り、かるさん・肩衣の大人たちが付添って言立てを唱えながら町を回り、特定の場所では仮閣を止め、当番町のうたう謡曲に合わせて稚児が舞う。各流の行列・言立て等には中世芸能の趣が今なおよく残されている。

その他の写真

地図

近隣の文化財

  • 1 櫛田神社 博多区

     祭神は大幡主命(おおはたぬしのみこと、櫛田大神)、天照大神(あまてらすおおみかみ)、素戔嗚尊(すさのおのみこと、祇園大神)。天平宝字元...
    詳細を見る
  • 2 櫛田神社の力石 博多区

     力石とは力だめしをする石のことだが、その由来は神霊の依坐である石を持ち上げることで豊凶・天候・武運等の神意を伺う石占の信仰に遡ると言われ...
    詳細を見る
  • 3 博多祇園山笠行事 博多区

     博多祇園山笠は、鎮守神櫛田神社の相殿に祀られている祗園午頭天王(ぎおんごずてんのう、神道では素盞鳴尊)の祭りである。平安時代に始まった...
    詳細を見る
  • 4 櫛田の銀杏 博多区

     銀杏は中国語読みの影響があってギンナンと発音される。福岡ではギナンといわれたりもする。標準的な和名はイチョウである。葉の形が家鴨の水か...
    詳細を見る
  • 5 蒙古碇石 博多区

     博多湾を中心として発見される特殊な考古資料に、「蒙古碇石」がある。  全長が2~3mの角柱状の石で、中央部が最も広く、両端がややせまくな...
    詳細を見る
  • 6 蒙古碇石 博多区

     博多湾を中心として発見される特殊な考古資料に、「蒙古碇石」がある。  全長が2~3mの角柱状の石で、中央部が最も広く、両端がややせまくな...
    詳細を見る

近辺情報

時代別検索

エリア・マップ検索

種別検索

キーワード検索

  • クリア
  • 検索
カテゴリーの紹介
建造物
絵画
彫刻
工芸品
書跡・典籍・古文書
考古資料
歴史資料
無形文化財
無形民俗文化財
有形民俗文化財
史跡
名勝
天然記念物
文化的景観
伝統的建造物群保存地区
選定保存技術
埋蔵文化財
その他