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博多仁和加 中央区

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指 定 市指定
区 分 民俗文化財
種 別 無形民俗文化財
所 在 地 福岡市中央区天神1-10-1
時 代 現在
所 有 者 博多仁和加振興会

紹介文

 「にわか」とは「にわか狂言」を略した言葉であり、祭礼において種々趣向をこらした出し物が演劇化した即興の笑劇であり、18世紀半ばの江戸時代中期から大阪・京都・江戸で流行し、全国各地に伝播したと考えられている。
 博多仁和加は口承では、黒田如水・長政父子が播磨国一宮・伊和大明神の「惡口祭」を移入し、藩政に資する手だてとしたことに始まるとの説がある。
 複数の演者による即興劇「段物」や、二人で台詞を応酬する「掛合い仁和加」、一人で演じる「一人仁和加」が博多仁和加の主体であったようであるが、現在ではそれらの「落ち」の部分が独立した「一口仁和加」が主流になっている。
 三味線・鉦・太鼓の出囃子で幕が開き、「東西、東西、鳴物をしずめおきまして一座高うはございますかなれど、不弁舌な口上ナ以て申し上げます。」の口上があり、「半面」「ぼてかづら」の演者が登場する芸態は現在も踏襲されている。
 全国各地で伝承されている「にわか」や、『古今俄選』(安永四年、1775)など諸記録からすると、「にわか」は都市や農漁村の祭礼に様々な趣向を凝らして練り歩いた「通りもの」「練りもの」と呼ばれた行列にその淵源が見いだされるようで、これは当時全国の春夏秋冬の祭礼で一般的に見られた光景であると考えられる。
 その衣装については『守貞謾稿』(嘉永6年頃、1853)は紙の張り子の鬘である「ボテカヅラ」を着すと記している。現在博多仁和加で用いられる半面については佐渡の年中行事絵巻(文化13年写、1830)やその他の祭礼図にも見られ、目鬘(めがつら)と呼ばれていたことが知られる。
 江戸時代以来の「ぼてかづら」を頭に、「半面」を顔に着して演じた「にわか」は、寸劇仕立ての「段物」であれ、当意即妙な「一人にわか」であれ、全国津々浦々の祭時一般に見られた光景であったと思われるが、その出で立ちは現在、博多仁和加にしか見ることはできない。
 

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