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平尾山荘 中央区

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指 定 市指定
区 分 記念物
種 別 史跡
所 在 地 福岡市中央区平尾五丁目2-28
時 代 江戸
所 有 者 福岡市

紹介文

 郷土出身の幕末の女流歌人として、また維新の先覚者の一人として異彩を放つ野村望東尼(のむらぼうとうに)の閑屠地である。
 本名は「モト」といい、文化3年(1806)9月6日、黒田藩士浦野重右衛門勝幸(300石)の三女として、福岡城の近傍南谷の御厩後(現在の中央区六本松三丁目付近)に生まれた。文政12年(1829)野村新三郎貞貫(413石)の後妻となり、弘化2年(1845)貞貫とともにこの地に隠棲、大隈言道について和歌を学んだ。
    音もなき寛の水のしたたりも
         たりあまりたる谷の一つ家
 これは、モトがこの山荘を詠んだ和歌の一つである。
 54歳の時、夫を喪い、博多の曹洞宗明光寺住持元亮巨導禅師によって剃髪し、向陵院招月望東禅尼となった。このころから勤王の志を抱き、平野国臣、中村円太、長州の高杉晋作等を庇護した。しかし、徳川幕府体制の維持を図る佐幕波が藩内の勢力を占め、勤王派を一網打尽に処刑するに及んで、慶応元年(1865)10月望東尼も捕えられ、姫島(糸島郡志摩町)に流された。
 幽閉11カ月、高杉晋作に救い出されて馬関に移り、さらに三田尻(防府市)に移り、慶応3年(1867)11月、62歳で没した。
 歌集として、「向陵集」、「ひめしまにき」がある。
 当初の草庵は腐朽してしまったが、明治42年(1909)に組織された向陵会により復元され、その後望東会に引き継がれて再建され、現在は福岡市が管理している。

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