平成15(2003)年度の成果

平成15年度は木製品が23遺跡282点、金属製品を中心とするその他の材質は19遺跡点の保存処理を行いました。以下、主要なものについて紹介します。

木製品

弥生時代の容器

空港敷地内の雀居遺跡4次調査では、対照的な弥生時代の容器が出土しました。写真左は、弥生時代前期中葉の土壙から出土した鉢型容器です。横木取りの材を刳り抜いて(刳物)作られています。内外面に工具の削り痕が残っていますが、鉄器がまだ普及していない時代とあって、大胆で荒々しい表面を呈しており、器壁の厚さも2.5から3.5センチと重厚な造りで、ごつごつしたヘルメットのようです。それとは対照的に、弥生時代後期後半の土器と共に出土した写真右は、一見轆轤を用いて作られたような精巧な作りを魅せますが、轆轤使用時に特有の筋状加工痕がないことや、刃物による削り痕が僅かに残っていることから、刳物と判断されました。側板の薄さやデザインの美しさ、繊細な加工が施された表面の滑らかさなど、当時の工人による技術の高さと、それを可能にした工具(鉄器)の発展ぶりを垣間見ることが出来ます。

雀居遺跡4次調査出土の木製容器
香椎B遺跡出土の木製紡織具

中世の織物工房

日常生活に欠かせない衣類(布)ができるまでには、まず材料(麻になる植物靱皮繊維や絹になる繭)を採取し、得られた繊維から糸を紡ぎ、そして布を織るという工程を踏みます。東区の香椎B遺跡1次調査では(1)糸を紡ぐ、(2)糸を巻く・保持する、(3)布を織るという三つの工程で必要な道具(紡織具)が出土し、中世の織物工房があったことを伺わせます。

『皇后宮職』木簡

この木簡は、空港敷地内の下月隈C遺跡7次調査で出土しました。皇后宮職(こうごうぐうしき)は8から9世紀にあった皇室に関わる中央官庁のことで、記載された木簡が出土したのは全国で4例目です。更に、当時都のあった近畿以外の地方から出土するのは初めてで、中央とのつながりを示す資料として注目を浴びました。右は赤外線写真。

下月隈C遺跡出土の「皇后宮職」木簡
赤外線写真

木造仏手

この仏の手が出土した博多遺跡群103次調査地点は、博多区の櫛田神社境内に位置します。周りには聖福寺や承天寺などのお寺も多く、何らかの形で埋没してしまったのでしょう。出土したのは左手のみで、手の甲には金泥が残っています。指は全て失っていますが、手の大きさから元々、立像であれば、高さ70センチほどの小尊像であったと考えられます。

博多遺跡103次調査で出土した仏像の手
出土地点

金属器等

古墳時代の装い

南区の東油山古墳群E群では2基の古墳から豊富な種類の金属器が出土しました。その中でも特に注目されるのが装身具類で、耳環やガラス玉の他にも金属製の空玉(うつろだま)も出土しています。空玉が完全な形でまとまって発見されるのは福岡市内でも初めての例です。また銀製と金銅製の2種類がありますが、この様に「金」と「銀」が同時に見つかるのは、県内に目を広げても貴重な発見といえます。
この銀製空玉は、金工作家で文化財の復元製作にも数多く携わっている依田香桃美氏にご指導いただき復元製作を試み、古代の輝きが甦ると同時に、古代人の高い技術の一端に触れることができました。

出土の耳環
出土の耳環

また鑷子(じょうす)と呼ばれるピンセット状の鉄器も発見されています。これもかんざしや化粧道具など広い意味での装身具と考えられますが、馬具や刀の吊り金具という説もあり、用途が明確ではない謎の金属器です

東油山古墳群出土の鑷子(じょうす)

中世の装い

東区箱崎遺跡群22次調査では12世紀後半から13世紀前半の木棺墓が検出され、そこから湖州鏡と呼ばれる中国製の鏡が見つかりました。この鏡には紙や布などの有機物が付着して残っており、特に布は詳しい調査の結果、隣り合う経糸を絡ませながら織る「捩り織り組織」と呼ばれるもので、その中でも3本の経糸を絡ませる「顕文紗」という織物の特徴とよく似ています。「顕文紗」はこの当時、夏の公家衣装などに用いられたとされるもので、そのような高級織物が鏡の梱包に用いられたことになります。九州大学の中橋孝博氏による残存人骨の調査によれば、被葬者は熟年女性との結果が得られており、その被葬者像が注目されます。

箱崎遺跡群22次調査出土の青銅鏡(中世の湖州鏡)
鏡に付着した繊維の実体顕微鏡写真
同電子顕微鏡写真

レプリカの活用法

早良区藤崎遺跡群32次調査では近世末の銭の束、「緡銭(びんせん・さしぜに)」が発見されました。紐で繋がったままの状態も珍しく、このままの状態で残したいところですが、どんな銭が入っているのかも気になるところです。そこで繋がった状態をレプリカにして、本物は解体し保存処理するという一石二鳥の方法を試みました。

銭の束=緡銭
緡銭レプリカの型と成形品
解体された緡銭

弥生時代の鏡・新例

この事例は既に過去行われた作業のもので、平成15年度のものではありませんが、貴重な資料なのでここに紹介します。那珂遺跡群69次調査では弥生時代後期の住居址に掘られた穴から鏡が出土しました。この鏡は内行花文鏡という中国後漢代のものですが、周囲が割れています。しかしよく見ると割れた部分を良く磨いて再利用しています。また顕微鏡や分析によって、所々に赤色顔料「朱」が付着していることが分かりました。このことから、何かのお祭りに使われたか、あるいは墳墓に副葬されていたものが持ち出された可能性も考えられます

鏡に付着した顔料(水銀朱)の面分析(マッピング)銅(Cu)錫(Sn) 水銀(Hg)
那珂遺跡群69次調査出土の青銅鏡の透過X線像と保存処理後の状況

現場作業等

保存処理は室内だけの作業にとどまらず、時には発掘現場に出向く「往診」もあります。その中から二つの作業を紹介します。

遺構の複製

早良区広瀬遺跡で、中世の土器を焼いたと思われる痕跡が発見されました。この様な例は珍しいので、遺構の複製を作り残すことになりました。15年度は型を取っただけですが、平成16年度に型に樹脂を塗って原型を作り、着色・仕上げを行っています。完成後は展示などに活用されることが期待されます。

大手門建築材の墨書調査

福岡城大手門の解体調査が行われましたが、その際、柱に建築当時の様々な情報を書いた墨書が発見されました。しかしこれらは長年の汚れで読み辛くなっており、赤外線カメラによる調査が行われました。通常であれば、埋蔵文化財センターに運んで調査を行いますが、部材は非常に大きく運搬が困難なため、装置を現地に運んで作業しました。

前年度に行った保存処理の成果を展示する企画展「甦る出土遺物」を毎年開催しています。またこれに関連する講座も展示期間中に行って、展示資料の解説をしています。
平成15年度の成果については平成16年9月17日(金曜日)から11月14日(日曜日)に展示を、関連講座を9月18日(土曜日)に開催しました。内容は小冊子(モノクロコピー)にまとめていますので、より詳しい内容を知りたい方は埋蔵文化財センターにお問い合わせ下さい。(講座を聴講された方には1部無料で提供していますが、それ以外に入手を希望される場合コピー代実費が必要となります。)