平成21(2009)年度の成果

平成21年度は木製品が20遺跡251点、金属製品を中心とするその他の材質は12遺跡247点の保存処理をおこないました。以下、主要なものについて紹介します。

木製品

今年度処理をおこなったのは柱根や礎板、建築材といった大型品が中心です。この中から博多区下月隈C遺跡6から8次、比恵遺跡87次、中央区鴻臚館跡16次、西区元岡・桑原遺跡群42次の木器を紹介します。

弥生時代の建物の柱と礎板(下月隈C遺跡6から8次)

下月隈C遺跡は福岡空港南側に広がる遺跡で、調節池建設のために1998年から2003年にかけて約8万平方メートルの敷地を発掘調査しました。弥生時代から中世までの集落や水田が発見され、大量の土器や石器のほか様々な木製品が出土し、これまで数年かけて保存処理を行ってきました。21年度は6・7・8次調査の柱や礎板、建築材を中心に保存処理を行いました。
礎板とは軟弱な地面に直接柱を立てると沈み込むので、接地面積を大きくし、柱が沈まないようにするために柱の下に据えた板のことです。礎板には1枚の板を据えた一木型、細めの丸太を半裁して据える半裁型、鉄アレイ形の礎板に凹みを設けた柱を噛み合わせる組み合わせ式の3種類が認められました。半裁型や組み合わせ式の礎板には、大きな材がなくても柱の沈下を防ごうとした弥生時代の人々の工夫があらわれています。
下月隈C遺跡出土の柱根の太いものの中には2つの穴が穿たれ、貫通しているものがあります。これは木を伐採地から運搬する際に穴に縄を通して地上を引っ張ったり、河川で筏を組んだりした鼻繰(はなぐり)の痕跡です。運搬後は不要になるので切り離す事が多いのですが、下月隈C遺跡の柱には残されていました。

半裁型礎板
組み合わせ式礎板
鼻繰のある柱根

籌木(鴻臚館跡16次調査)

鴻臚館ではこれまで南館でトイレ遺構が3基発見されていました。その後、2003年に北館でも新たにトイレ遺構が2基発見されました。籌木はおしりを拭くヘラで、現代のトイレットペーパーにあたります。トイレ遺構SK1124の穴から大量に出土しました。中には木簡を再利用したものもありました。そのほか、先端が炭化している棒も多数発見されました。夜間に明かりをつけるのに使ったとみられています。

籌木
火付け木
木簡を転用した籌木

漆塗り容器(元岡・桑原42次調査)

漆塗容器

2004年九州大学伊都キャンパスの建設予定地の発掘現場から、黒字に赤い細線が入った美しいワイングラス形の漆器が出土しました。赤い線が一定の太さでまっすぐに引かれており、ろくろなどの回転を利用して書かれたようです。同様の細線赤漆の漆器はこれまで西区の今宿五郎江遺跡や博多区の雀居遺跡、下月隈C遺跡でも見つかっています。近年韓国釜山の古村遺跡でも類似した漆器の出土が報告されており、土器や石器だけではなく、木製品でも技術の交流・製品の流通などが朝鮮半島との間で行われていた事が伺えます。

蓋(きぬがさ)の腕木(比恵87次調査)

弥生時代中期末の井戸SE12から蓋の腕木の軸部と思われるものが出土しました。報告書未掲載資料であるので、実測図と共に紹介します。中心の幹部には上から径5ミリほどの孔が1.5センチの深さであけられています。同じ場所から8本の枝が出ており、腕木にしたと考えられますが欠損しており、長さは不明です。
市内では他に拾六町ツイジ遺跡で鏡板と考えられる部材が出土しています。

蓋の腕木

金属器等

特集 馬具1 調査から25年目の保存処理

遺跡名:羽根戸古墳群N群
資料名:馬具類
時代:古墳時代後期

埋蔵文化財センターには、センター開館以前の古い時期に調査された遺物も収蔵されています。それらの中には、サビ取りや保存処理が行われないままのものが相当数あり、急ぎの仕事がないときは、20年以上前に出土したそれら収蔵品の保存処理も進めています。
1985年に発掘調査された羽根戸古墳群N群から出土した馬具です。羽根戸古墳群は、背振山系から派生し長垂山に至る丘陵上に所在する後期群集墳です。付近には金武古墳群、野方古墳群もあり、福岡市屈指の古墳密集地域を形成しています。
8号墳から、図のような轡と鞍金具が出土しました。鞍金具は花弁形の座金具と革紐をかける円環、さらに背後には鯱鉾の尾みたいに天に向かってそそり立つ長方形の鋲留のある板がつくという、大変手の込んだ一品です。しかし、よくよく考えると何かおかしい。
保存処理をしつつ調べた結果、轡は左右の部分に分かれていて、作図する際にくっつけ方を誤って想定したようです。また、鞍金具のほうは、2つの違う部位の部品を組み合わせて作図されていました。手前側は鞍のしおで金具、背後の部品は、壺鐙の吊金具であることがわかりました。

報告書の実測図
しおで金具
くつわ
壺鐙の吊金具

博多遺跡群第172次調査出土のガラス・ガラス製作関連遺物について

1.はじめに

博多遺跡群では、これまでに約90の調査地点から、古墳時代から近代以降の資料を含む約1100点のガラス関連資料が出土しています。これらのガラス関連資料には、共伴遺物や坩堝として使用されている中国製無釉陶器の年代観から、12から13世紀代と比定されるものが含まれており、それらの材質については分析の結果、カリウム鉛ガラスが多く含まれていることが判明しています〔比佐2008、比佐2009〕。
博多遺跡群から出土したガラス関連資料には、製品だけでなく、未製品やガラスの付着した坩堝と考えられるものも多く、当地でガラスの溶融と製品加工がおこなわれたことが指摘されています〔比佐2008〕。
2007年に発掘調査がおこなわれた博多区冷泉町に位置する博多遺跡群第172次調査地点では、近年の博多遺跡群発掘調査の中では調査面積が広域であったこともあってか、ガラス製品やガラス製作関連遺物の出土が多い点が特徴としてあげられます。ガラス素材の製作に関連するような遺構は発見されませんでしたが、ガラス製品や未製品、坩堝、ガラスの滓などは300点以上出土しており、そのうちの118点については図化され、福岡市埋蔵文化財センターで蛍光X線分析装置を使用した材質調査がおこなわれ、報告されました〔池崎・本田編2010〕。
本次調査での多量のガラス製品・ガラス製作関連遺物の出土から、調査地点周辺でガラスの生産がおこなわれた可能性が強く指摘でき、中世の博多遺跡群でのガラス生産を考えるにあたって、今後重要な役割を果たすものと考えられます。
本稿では、博多遺跡群におけるガラス関連資料の蓄積を目的に、未図化資料の材質分析も含めて、再度博多遺跡群第172次調査出土のガラス製品・ガラス製作関連資料の調査をおこない、遺物の概要と材質調査の結果をまとめました。なお、既に報告書に掲載された図化資料についても、再度その調査成果を掲載しています。また、資料中には、鉄滓なども一部に含まれていましたが、それらについても、表に掲載しています。
 

2.資料の分析

これまで福岡市埋蔵文化財センターでは、ガラス製品や金属製品などを中心に、エネルギー分散型蛍光X線分析装置を使用した材質調査をおこなっており、成果をあげています〔比佐ほか2003など〕。博多172次調査出土のガラス関連資料についても、この装置を使用した図化資料の材質を分析しており、今回の追加調査についても同じ装置を使用しておこないました(1。
発掘調査報告書では90点のガラス製品・未製品、28点の坩堝が掲載され、そのうち6点を除いた112点の材質分析をおこいました。その結果、一部の石英や陶磁器片、ソーダ石灰ガラスやカリ石灰ガラスと思われる新しい時期のガラス以外は、カリウム鉛ガラスと呼ばれるガラスの一種であると推測される元素を検出しました〔池崎・本田編2010〕。今回の追加調査では、未図化資料約100点の分析をおこないました。ガラス関連資料と思われる資料の中には、鉄滓などの別の生産関係の遺物も混在しており、それらについては、肉眼観察で明らかにガラス関連資料ではないものを除外し、種別が不明な資料については分析をおこなってその材質を検討しました。
分析の結果、鉄滓や鉛の塊、陶磁器片なども含まれていましたが、ガラスに関しては一部近代のものと思われるソーダ石灰ガラスもみられたもののその主体は先の調査同様、カリウム鉛ガラスと思われる資料で占められていることが分かりました。
カリウム鉛ガラスは(K2O-PbO-SiO2)、中国宋代に開発されたガラスの一種で、日本では平安時代が初現であり、江戸時代まで用いられたことが確認されています〔肥塚1999、比佐2008〕。博多遺跡群出土のガラス関連資料の時期については先述しましたが、共伴遺物の年代観や坩堝として使用された無釉陶器の時期から12世紀から13世紀に該当すると考えられています〔比佐2008、比佐2009〕。その製作については、博多遺跡群ではガラス生産に関する遺構が検出されていない点から、ガラス自体の製作ではなく、ガラスの再溶融と製品への加工である可能性が指摘されています。
以下にガラス製品・未製品と坩堝・その他のガラス製作関連遺物に大別して、博多遺跡群第172次調査出土のガラス製品・ガラス製作関連遺物の特徴をまとめました。
 

(1)ガラス製品・未製品

博多遺跡群第172次調査では、玉・棒状・璧状・おはじき状・容器状・塊状など多様な形態のガラスが出土しています。その中で特に玉類の出土が多いです。玉類は、径ミリから10ミリ未満の小玉、10ミリ以上から15ミリ程度の大型の丸玉のほか、平玉や蜜柑玉、大型の玉に小型の玉を融着させたものなどが出土しています。小玉や丸玉は側面観が真球に近いもののほか、扁球形、潰れた滴下状を呈するものがあり、扁球形と潰れた滴下状のものが多いです。潰れた滴下状の玉は厚みが一定でなく台形様で、孔を中心に渦巻くような段差または気泡筋が入り、孔部周辺にバリや突起がのこっています。連玉状の資料も同様の特徴を持つものが見られる点から、芯に連続して熔けたガラスを巻きつけて連玉をつくり、分割して小玉を製作していた可能性が考えられます。台形様の潰れた滴下状の玉や表面の段差は、連玉製作時の巻きつけをおこなった際の痕跡であると思われます。本次調査では2連から7連の連玉が出土しています。
玉類以外の形状のガラスは、玉類に比較して出土点数が少ないです。棒状資料は、断面円形や楕円形の直線的に伸びるものや、断面三角形状の屈曲するもの、直線的に伸びるが途中から細くすぼむものが見られます。途中から細くすぼむ棒状のガラスの中には、太い部分に途中まで孔が見られるものがあり、これらの資料は、巻き付け技法による玉の製作時の素材片である可能性が考えられます。円盤状のガラスは、これまでの博多遺跡群の発掘調査でも出土しており、本次調査でも璧状やおはじき状のものが出土しています。特に璧状ガラスについては、宋人とのかかわりが指摘されており、今後もその出土は注目されるでしょう〔佐藤2008、比佐2010〕。
容器などの用途をもつ可能性がある薄手の破片資料も多く見られます。いずれも厚みが1、2ミリ程度の薄い小片・細片が多く、厚手の破片や容器と断定できるような大型の破片は出土していません。しかしながら、口縁端部と思われる破片や小型容器の蓋が数点出土しています。蓋は、巻き付け技法によって受け部をつくり、頂部につまみを有するタイプで、このような形態の小型容器の蓋は、博多遺跡群では79次、85次、115次、118次調査で発見されており、徐々に出土事例が増えています。小型容器の蓋は、2点が報告書で図化報告されていますが、このほかにも蓋の破片である可能性の高い資料を見つけることができました。蓋の色調は、透明な緑色、乳白色や薄緑色のものが多いですが、未図化の蓋の破片は透明度の高い淡青色で色調が異なっていました。しかし、分析の結果、この資料もカリウム鉛ガラスであると判断できる結果でした。
 

(2)坩堝・その他のガラス製作関連遺物

博多遺跡群出土のガラス坩堝は、壺型のものが使用されており、その中で中国製陶器の水注を転用したⅠ類と、器壁が厚く粗製の把手や注口のないⅡ類に大きく分類でき、両者は同時期に混在して使用されたと考えられています〔比佐2008〕。博多遺跡群第172次調査では、坩堝片が約160点含まれており、部位ごとに口縁部片16点、頸部片17点、胴部片76点、底部片15点、分類不能の小片37点に分類でき、底部片の点数から10点以上の完形の坩堝が存在していたものと想定できます。坩堝片を観察すると、薄手のものが主体で、全体像が復元できる資料については把手や注口があり、大部分が中国製無釉盤口水注と呼ばれるⅠ-a型式で占められることが判明しており、未図化資料についても図化資料と同様に中国製無釉盤口水柱を転用している状況です〔池崎・本田編2010〕。今回、未図化資料を観察する中で、黒色の釉薬が施された陶器の口縁部片や土師皿片に緑色ガラスが厚く付着した資料も発見でき、中国製無釉盤口水注以外の器種についても坩堝や取瓶などとして使用された可能性も指摘できます。
博多遺跡群172次調査地点からは、ガラス滓のような資料も出土しています。透明度の低い緑色の1から2センチ熔け固まったガラス粒と焼土塊も出土しています。焼土塊は幅約10センチ、厚さ5から7センチほどで、硬化しており、表面や内部に緑色ガラスが付着しています。付着したガラスも蛍光X線分析をおこなったところ、カリウム鉛ガラスのチャートと類似する結果でした。高温の熱を受けている点から、ガラスの溶融に関係した資料であるようで、生産遺構を推定する上で重要な資料になるものと思われます。
 

3.まとめ

博多遺跡群第172次調査から出土したガラス・ガラス製作関連遺物について未図化資料を中心に再度、資料の概要についてまとめをおこないました。
一部に近代の遺物が含まれているものの、未図化資料についてもその多くは、博多遺跡群で最も出土するカリウム鉛ガラスである結果となりました。
資料には、溶融したガラスを含む焦土塊など、これまでの調査であまり注目されていなかった生産残滓と思われる資料も新たに発見されており、今後、資料の検討をさらにおこなうことで、これらの資料と博多遺跡群におけるガラス生産についてより明らかになるものと思われます。
註 1)エダックス社製エネルギー分散型蛍光X線分析装置(Eagle μprobe/対陰極:モリブデン(Mo)/検出器:半導体検出器/印加電圧:20kV・電流値2400から805μA/測定雰囲気:真空/測定範囲0.3㎜φ/測定時間120秒)。なお、今回の分析も非破壊の定性分析をおこなった。分析は全ての資料を対象におこないたかったが、大型品や、厚みの差が著しい資料に関しては資料室の構造上、調査が困難であったため分析できなかった。

【参考文献】 肥塚隆保 1999「ガラスの調査研究」『日本の美術』No.400 至文堂
佐藤一郎2008「博多居留宋人が遺したもの」『福岡市博物館研究紀要』第18号 福岡市博物館
比佐陽一郎 2008「ガラス」『中世都市博多を掘る』 海鳥社
比佐陽一郎 2009「博多遺跡群161次調査で出土したガラス資料と156次調査出土の権について」『博多126―博多遺跡群第161次調査報告―』 福岡市埋蔵文化財調査報告書第1038集 福岡市教育委員会
比佐陽一郎・片多雅樹 2003「今宿遺跡3次調査出土ガラス小玉の保存科学的調査」『今宿遺跡2―第3次調査の概要―』福岡市埋蔵文化財調査報告書第738集 福岡市教育委員会
池崎譲二・本田浩二郎編 2010『博多135-博多遺跡群第172次調査報告-』 福岡市埋蔵文化財調査報告書第1086集 福岡市教育委員会 

博多遺跡群第172次調査出土ガラス・ガラス製作関連遺物(1)
小玉
連玉状
特殊な形態の玉類
棒状
円盤状(左:璧状、右:おはじき状)
容器か?
小型容器蓋
坩堝片
博多遺跡群第172次調査出土ガラス・ガラス製作関連遺物(2)
ガラスの付着する陶磁器(坩堝?取瓶か?)
不定形のガラス粒
ガラスが付着する焦土塊(1)
ガラスが付着する焦土塊(2)

特集 馬具3実は日本で唯一の出土品です。木製居木

遺跡名:元岡・桑原遺跡群第18次調査
資料名:木製居木(鞍)
時代:古墳時代末(7世紀中頃)

考古資料の中には、実は大変すごい物なのに、そのすごさがうまく伝わりにくい。そういったシブい逸品があります。今回紹介する居木が、まさにそれ。日本で唯一、福岡市から出土している第一級の重要資料で、国内外から多くの研究者が資料調査に来られます。この遺物の難点はただひとつ。はたしてこれは何に使う道具なのか、専門家でなければおそらく分からないということです。考古資料のもつ真価を皆さんにもっと伝えたい。そのためには、わかりやすい展示。ここでも私たちの出番です。居木とは何なのか、ひと目でわかるよう、レプリカの製作を行いました。居木は元岡・桑原遺跡群第18次調査で出土しました。調査地点は丘陵に挟まれた幅約100メートル、奥行き300メートル程の谷です。古代に大規模な造成を行い、倉庫群が造られ、木簡、権、墨書土器などが出土しました。何らかの公的施設が置かれていたものと考えられます。
居木とは、鞍の前輪と後輪の間にわたす部材で、騎乗者が腰を下ろすところ。奈良時代以降の鞍は、正倉院御物をはじめとして今日まで伝世しているものがあり、居木の実物もあります。しかし、古墳時代の木製鞍については前輪・後輪が20点ほど出土していますが、居木は全く出土例がなく、その構造は不明でした。この居木の出土は、古墳時代末から飛鳥時代(7世紀中頃)の鞍の構造を知る貴重な手がかりとなります。

鞍の構造宮代1996)
元岡出土居木の実測図

特集 馬具 鞍のレプリカ製作木

▼目的
居木が何であるか、理解の助けとする。
実物は触れないが、レプリカは触ることも出来る。実際に、触れることで考古学への 関心が深まるのでは。
▼気を使ったところ
居木から鞍全体を復元するとなると、どうしても空想が入らざるを得ない。
居木と組み合う前輪・後輪の形は?色は?できるだけ他の考古資料などを参考にして、事実に近い形に復元しようと試みました。

1.この居木から鞍を復元する
2.九州国立博物館のX線CTで立体復元
3.左右ペアの石膏レプリカができた
4.型取り開始。プラ板で分割面の設定
5.シリコーン樹脂を塗る
6.石膏で裏打ち
7.裏面も同様に仕上げる
8.石膏が固まったら上下の型を分離させる
9シリコーンを慎重に遺物から剥いでいく
10.無事に型取り完了
11.次は型にエポキシ樹脂を注入する
12.樹脂を入れたら型を合わせる
13.シリコーン樹脂をはがす
14.居木のレプリカ完成
15.発泡ウレタンで鞍の土台作り
16.居木の角度、離れ具合を検討
17.これから前輪と後輪を作っていく
18.エポキシ樹脂と樹脂粘土で肉付け
19.前輪の形を整える
20.漆塗りと想定し、黒く色付け
21.革紐で居木と前輪・後輪を組合わせる
22.鞍の復元品 完成

江戸時代のお葬式

遺跡名:箱崎遺跡
資料名:銅銭・和ばさみ・毛抜・キセルなど
時 代 :江戸時代

福岡市ではあまり事例が多くありませんが、江戸時代を対象にした発掘調査もあります。発掘調査によって、文献史料に書かれていることを裏付けることもありますし、文字には残されなかった一般庶民の生活習慣などを明らかに出来ることもその魅力でしょう。
箱崎遺跡第62次調査では、江戸時代の墓地跡が調査されました。墓からは、銅銭、和ばさみ、毛抜、櫛、キセル、手鏡などの副葬品が出土しています。
銅銭は、6枚セットの場合が多く、俗に「三途の川の渡し賃」と言われる六道銭を副葬する風習が江戸時代には広く行われていることがわかります。もっと古い中世段階の銅銭が出土した土坑(おそらく墓)もありますが、この時期は銅銭1、2枚で六道銭の風習はまだ見られません。 また、和ばさみや毛抜、銭、櫛などが錆によってお互いくっついてしまった状態で出土した事例が多いです。その表面を顕微鏡で観察すると、繊維の布目痕跡が確認できました。これらの品をいわゆる頭陀袋に入れて埋葬したのでしょう。和ばさみ・毛抜・櫛はセットになっている場合が多く、キセルはそれらとはセットにならず、大概キセル+銅銭だけの組合わせで出土しています。男性と女性で副葬する品が違っていた可能性もあります。

銅銭に残る布目痕跡
和ばさみと銅銭
和鏡のX線写真