2024年01月17日
平成25(2013)年度の成果
平成25年度は木製品が36遺跡626点で、金属製品を中心とするその他の材質は44遺跡334点の保存処理をおこないました。以下、主要なものについて紹介します。
木製品
高畑遺跡20次
高畑遺跡は御笠川中流域の左岸に広がる河岸段丘城に立地しています。弥生時代の集落・旧河川、古墳時代中期の旧河川や奈良時代の井戸・官道などが見つかりました。
弥生時代の旧河川は後期のもので、途中には杭が打ち込まれ、井堰が構築されています。井堰の構築材の中には焼失した住居の建築材が用いられていました。
古代の井戸は刳り抜きの桶を井筒とし、厚手の板を組み合わせ、井側としている堅牢なつくりのものです。中から瓦塼や鬼瓦、櫛、曲物、皇朝十二銭「神功開寳」などが出土しました。遺跡内に存在が推定されている古代寺院「高畑廃寺」に関連するものと考えられます。
弥生時代河川出土木製品
古墳時代河川出土木製品
奈良時代井戸出土木製品
金武青木遺跡1次
金武青木A遺跡は西区大字金武、早良平野の南端部に位置しています。2009年から、農業基盤整備促進事業に伴い調査されました。調査では掘立柱建物4棟以上、炭窯、鍛冶炉、池状遺構などが見つかりました。池状遺構からは墨書された須恵器や字をへらで刻んだ土師器などとともに木簡が出土しました。
木簡とは木に文字を墨書きされたもので、文字史料が限られる古代では大変貴重な発見です。発見された9点の木簡の中には「延歴(暦)十年」(791年)と年号が書かれたものや人名と思われるものが書かれたものが見つかっています。
その中で、「怡土城」、「志麻郡」と書かれた木簡が注目されました。怡土城とは福岡市と糸島市の境、高祖山に築かれた古代山城で、国の防衛施設です。また、遺跡が立地する早良郡ではなく、「志麻郡」と書かれていたことなどから、この遺跡が国家的施設の役割を持っていたのではないかと考えられています。
木簡は2010年度に処理をおこなっています。今年度は木簡以外の木製品の処理をおこないました。曲物や丸木弓の弭、人形と思われる木製品などが出土しています。
金属製品
板状鉄製品(比恵遺跡群第125次調査)
鉄素材と考えられる板状鉄製品です。弥生時代中期末から後期初頭と推定される竪穴住居から出土しました。このかたまりを熱して叩き延ばし、各種の鍛造鉄器を作ります。ずっしりと重く、内部の鉄が錆びずにそのまま残っているのではと推測されたので、遺物を切断して金属学的分析を行いました。切断してみると、内部はピカピカの輝きを保っていました。金属製品は土の中で芯まで錆びてしまうのが常識。これほど見事な状態で残っていたということは奇跡的です。分析の結果、古代中国東北部に産地が求められる「炒鋼法」にもとづく高純度の軟鋼であることが明らかとなりました。
貨泉・五銖銭・小銅鐸など(元岡・桑原遺跡群第42次調査)
谷のなかを流れる2本の自然流路の中から1万箱を越える遺物が出土しました。土器が集中する場所は文字どおり足の踏み場もないほどの密集状態で、調査区内で発見された住居は少ないものの、この付近に弥生時代の拠点集落があったことは間違いありません。五銖銭・貨泉が計9枚、小銅鐸2点、小形仿製鏡4面、銅鏃5本、鞘尻金具など、弥生時代の金属製品が出土しました。とくに中国銭がこれほどまとまって出土することは大変めずらしいことです。
「好」字銅印(鴻臚館跡第31次調査)
鴻臚館跡で出土した銅製の印章です。判面は約3.7センチ四方で「好」の字が鋳出されています。つまみ部分は莟紐(がんちゅう)という形で、花のつぼみを模倣したものと言われています。「好」の字が何を意味するのかは分かっていません。この印を紙に押すと、「好」の字は左右反転して読めなくなるのですが、どのように使ったのでしょうか。
その他
人骨の調査・取上げ(博多195次調査)
最近は人骨の出土状況の調査、測、取上げも行っています。