【指定】県指定 【種別】無形民俗文化財
志賀海神社神幸行事 志賀海神社は綿津見(わだつみ)三神を祭り、長く海の守護神として北九州海辺の信仰を集めた古社である。神幸行事は当社最大の祭礼である。
旧暦9月1日の「男山祭」でおみくじあげが行われ、御神幸となると氏子総がかりで準備を始める。準備から祭りが終了するまで、四軒の家が代々務める「宰領」が統括する。
旧暦9月8日の午後9時、一の戸から三の戸まで三基の神輿が幣殿に揃い、祭典が施行される。御遷霊の後、多くの供奉者を伴って浜の頓宮まで遷幸する。社人は各神輿に供奉するが、各座によって奉仕する神輿が異なっている。一の戸は大宮司座・検校座、二の戸は別当座・宜別当座、三の戸には称宜座・楽座の社人が供奉している。それぞれの行列では、神輿に近いほど臈次の高い社人が付くことになっている。また、一の戸には「八浦公」と称する家が艫を持って奉仕する。以前は、この浦公の先頭に具足を着用した「水夫長」が供奉していたが、現在では見られなくなっている。
頓宮では、古風な芸能の数々が奉納される。まず、「龍の舞」が始まる。龍頭をささげてくねるように舞う。龍の動きを模した所作といわれている。龍頭の箱書きには「文政十年亥七月吉日」の銘が入っている。本来、獅子舞であったものに後世の工夫改良が加えられ現在の姿になったのではないかと説明されている。続いて、「八乙女の舞」となる。舞手の八乙女は世襲で代々務める老女達である。舞楽は「御神楽」と称している。最後は「羯鼓の舞」である。神人が羯鼓を胸に付けて、顔を白布で覆い、「舞のうの岸の姫松や」の詞唱を唱えながら右廻りにまわる舞である。磯良の示現を表した所作といわれる。いずれの芸能も当社の縁起に基づいたものである。終了後、三基の神輿は神社に還御して神霊が本殿に移される。翌9日の「流鏑馬」の奉納で一連の行事は終わる。
この神幸行事は神霊の移動すると考えられている夜間に遷幸・還御を行う点や、当社の縁起を人々の生活の場にある頓宮で芸能として演じることにより、人々に神徳を再確認させる点などに民俗行事としての古態をとどめている。
なお現在は隔年(西暦奇数年)の体育の日の前日に神幸行事が行われている。また毎年体育の日には国土祭を執り行っている。
指 定 | 県指定 |
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区 分 | 民俗文化財 |
種 別 | 無形民俗文化財 |
所 在 地 | 福岡市東区大字志賀島877 志賀海神社 |
時 代 | 現在 |
所 有 者 | 宗教法人 志賀海神社 |