【指定】その他 【種別】埋蔵文化財
寺塚穴観音古墳石室奥壁の正面には阿弥陀、その左右には観音、勢至両菩薩が浮彫りにしてあり、作者・製作時期は不明であるが、その形態から一般に穴観音と呼ばれて信仰されてきた。民家を離れ、閑寂の地であったため、参詣人が多く、また地形上の利点を生かして明治10年3月19日、この穴の中で西南戦争への加担が旧藩士武部小四郎等によって謀議された。
寺塚一帯には多くの古墳があったが、福岡城築城に際して石垣石材に石室の石が抜かれ、壊滅したと伝えられている。
また、石室奥は福岡城まで続く抜け穴であったとも言い伝えられてきた。
指 定 | その他 |
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区 分 | 埋蔵文化財 |
種 別 | 埋蔵文化財 |
所 在 地 | 福岡市南区寺塚二丁目22 |
時 代 | 古墳 |
所 有 者 | (宗)興宗寺 |