毎日が発掘

博多区住吉で中世の屋敷跡を発見! -住吉神社遺跡第3次発掘調査について-

【2014年11月17日】

印刷する

調査地は,住吉神社の北西150m,那珂川の東岸に位置する沖積地(ちゅうせきち)で標高は約3mです(写真①)。博多や住吉が現在の地形となる16世紀中頃以前,特に中世における調査地は陸地深く湾入したほとりに位置し,北側には西進して那珂川と合流する比恵川(ひえがわ)の河口が広がり,海外交易拠点都市「博多」とは地理的に画された状況が絵図から知ることができます(写真②)。

これまで,住吉神社については創建(そうけん)が奈良時代までさかのぼることが文献記録から知られていましたが,神社や周辺の歴史的様相および変遷は不明でした。

今回の調査による成果は大きく二つあります。ひとつは調査地を含む「住吉」周辺の土地形成が「博多」とは異なることが明らかになったことです。「博多(息(おき)の浜・博多浜)」が潮流で形成された砂丘上に立地するのに対し,「住吉」は那珂川により運ばれてきた花崗岩風化土(マサ土)の堆積によって形成された沖積地上に立地しています。また,土地の変遷においても「博多」は道路や屋敷地の嵩(かさ)上げを大規模に幾度となく繰り返し,砂丘上の盛土が3m近くになるところもあります。これに対して「住吉」では,現在に至る900年の間に地盤の嵩上げは約0.8mしかありません。

二つ目の成果は,住吉神社周辺における歴史的様相が明らかになった点です。今回の調査では,中世~近世の掘立柱建物,井戸,溝,柱穴,小穴などが現地表下0.8~1mのマサ土上面で検出されました(写真③~⑧)。これらの遺構からは、主に10世紀後半~17世紀の土師器(はじき),施釉陶器(せゆうとうき),焼締陶器(やきしめとうき),須恵器(すえき),磁器(じき),木器,石製品,輸入銅銭等が出土し,総量コンテナ約200箱を数えます(写真⑨~⑬)。内容的には日用雑器の皿,椀,鉢,土鍋,甕(かめ),石鍋,石臼の他、輸入陶磁器である青磁,白磁,施釉陶器,漆塗り椀(うるしぬりわん),銅銭などがあります。

これらの状況から、中世から近世前半における調査地は屋敷地であったと考えられ、遅くとも12世紀後半にはその原形が出来上がり、13~15世紀に隆盛を迎え、17世紀前半まで連綿と続いたようです。

今回の調査により,住吉神社境内を中心とする住吉神社遺跡おいては,中世の博多に勝るとも劣らない状況と歴史的変遷を内包していることが判明しました。さらに,博多遺跡とは異なり,供献(きょうけん)や祭祀(さいし)に結びつく出土遺物の多さから,住吉神社に深く関係した人々の屋敷地であった可能性が高いと判断されます。この状況は,嗽碗(うがいわん)などの有田焼の出土から経済力のある人々が近世に至るまで連綿と居住していたことを示すものであり,学術的価値の高い成果を得ることができました。

現地説明会を平成26年9月28日(日)に開催したところ見学者数は約150名を数え,地元の人々の遺跡への関心の高さを示しました。見学者は「住んでいるところに遺跡があったことにビックリ!地域に誇りを持てます。」と感想を口にされていました(写真⑭)。

写真① 調査地と住吉神社(1948年撮影)

写真② 絵図と調査位置

「筑前國一之宮住吉神社蔵」

写真③ 遺構検出状況1

写真④  遺構検出状況2

写真⑤ 土師器などが多く出土した区画溝

写真⑥ 祭祀を行った穴

写真⑦ 木桶(おけ)を重ねた井戸

写真⑧ 石を積んだ井戸

写真⑨ 国産の土師器

写真⑩ 中世に中国から輸入された白磁

写真⑪ 中世に中国から輸入された銅銭

写真⑫ 漆を塗った椀

写真⑬ 石鍋を転用した人面レリーフ

写真⑭ 現地説明会の様子

一覧に戻る