金龍寺・貝原益軒の墓

【指定】その他 【種別】その他

金龍寺・貝原益軒の墓

  • 貝原益軒の墓
  • 山門
  • 境内と貝原益軒像
 金龍寺は、曹洞宗で山号を耕雲山という。永正5年(1508)怡土郡高祖村(前原市)に高祖城主原田弘種が創建。慶長16年(1611)に福岡藩士高橋伊豆により城下荒戸山に移転。二代藩主黒田忠之の時現在地に移転した。
 寺内には福岡藩の儒学者貝原益軒と東軒夫人の墓がある。
 大正7年、病気静養のため来福した倉田百三は、当寺に寓居し『愛と認識との出発』『俊寛』を構想執筆し、また武者小路実篤の「新らしき村」に共鳴してその支部を置いた。
指 定 その他
区 分 その他
種 別 その他
所 在 地 福岡市中央区今川二丁目3
時 代 江戸、大正
所 有 者 (宗)金龍寺

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