平成23(2011)年度の成果

平成23年度は木製品が12遺跡412点、金属製品を中心とするその他の材質は15遺跡583点の保存処理をおこないました。以下、主要なものについて紹介します。

木製品

今年度保存処理をおこなったのは、東区香椎A遺跡4次、博多区下月隈C遺跡6・7次、博多遺跡群176・183次、早良区野芥大藪遺跡1次、西区橋本一丁田遺跡2次などの出土木製品で井戸枠材や建築材、柱根、礎板といった大型品が中心です。
このなかから博多区下月隈C遺跡6次、西区元岡・桑原遺跡群7次調査の木器を紹介します。

古代の運搬具-修羅-(下月隈C遺跡6次調査)

下月隈C遺跡は福岡空港南側に広がる遺跡で、調節池建設のために1998年から2003年にかけて約8万平方メートルの敷地を発掘調査しました。弥生時代から中世までの集落や水田が発見され、大量の土器や石器のほか様々な木製品が出土し、これまで数年かけて保存処理を行ってきています。23年度は6・7次調査の柱や礎板、建築材、杭を中心に保存処理をおこないました。川の護岸に用いられた杭などの中には重量物の運搬具である木ぞり「修羅」が転用されていました。二股にわかれた木材を利用してつくられており、股部に引き綱を結ぶための孔が穿たれています。残存長は2.2メートルでユズリハ属の材を使用しています。護岸に用いた大量の木材を運搬したものと想定されます。

運搬具

鞍橋(くらぼね)(元岡・桑原遺跡群7次調査)

鞍とは馬の背に架けて騎手の腰を安定させる道具で、前後に付く前輪(まえわ)と後輪(しずわ)、その間をつなぎ、騎手が腰を下ろす居木(いぎ)からなります。古墳の副葬品として鞍を飾った金属の飾金具が出土することは多いものの、本体部分は木でつくられるため遺存することが少ない物です。また、古墳出土の鞍は権威を象徴する儀仗用であり、実用の鞍の様子はあまり知られていません。
元岡・桑原遺跡の7次調査では4点の鞍の部材が出土し、古代の実用鞍の様子を伝える貴重な発見となりました。出土した遺構は全長42メートル、幅10から15メートル、深さ1.5から3メートルの池状遺構で、7世紀第4四半期に構築され8世紀中葉には埋没がすすんでいたようです。11は荷鞍用の前輪もしくは後輪です。内側に居木を掛けるための段差が作り出されていますが、固定するためのほぞ穴や紐孔はありません。2も荷鞍用の前輪もしくは後輪です。居木を通すためのほぞ穴が左右1カ所ずつあり、二枚居木の鞍になります。3は乗馬用の後輪で後方にやや傾斜して居木に付きます。内縁中央部には州浜(すはま)部の刳り込みがあります。馬膚(うまはだ)部は厚みを持ち、居木を固定したと思われる孔があります。爪先には鞖孔(しおであな)が穿たれています。4は居木で大きく欠損しています。長さ30センチ以下、幅6から7センチに推定されています。前輪もしくは後輪と結合するための紐孔が2カ所穿たれています。小型の居木で四枚居木の鞍になると考えられます。
市内ではほかに吉武遺跡群4次調査で5世紀後半の前輪、立花寺B遺跡6次調査で5世紀末の後輪、元岡・桑原遺跡18次調査で7世紀中頃の居木が出土しており、古代の鞍の形状をうかがい知る資料が蓄積されてきています。

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金属製品

庭を掘っていたら不思議なものが出てきました

遺跡名:南区三宅採集
資料名:細形銅剣
時代:弥生時代中期

「庭を掘っていたら出てきたんですけど、何なのか見ていただけませんか。」
平成23年8月、埋蔵文化財センターに、あるご婦人がお見えになりました。これまでにも何度か市民の方が、土器のかけらや文字が消えかかった掛け軸などを持ってこられることはありました。しかし、一目見た瞬間、びっくり!!なんと弥生時代の細形銅剣ではありませんか。まさか、こんなすごいものが持ち込まれるなんて・・・。
この細形銅剣は南区三宅1丁目(三宅小学校付近・三宅B遺跡の隣接地)で採集されたもののようです。お父さんが庭の土を掘り返して、その土で道路の水たまりを埋める作業をしていました。そのとき緑色に錆びた奇妙なモノが混じっているのを娘さんが発見されました。家の庭からは古代の瓦の破片も出てきたそうです。
銅剣は弥生時代の武器で、もともと朝鮮半島から伝わり、国内でも鋳造されました。福岡平野や早良平野といった小地域を治める首長だけが持つことができた、きわめて貴重な品です。細形銅剣は甕棺墓などに副葬されることが多いですが、今回は甕棺のかけらは出土しなかったそうです。福岡市内で銅剣が出土した遺跡としては、吉武遺跡群、岸田遺跡、東入部遺跡、野方久保遺跡、上月隈遺跡などがあり、吉武高木遺跡出土の銅剣は国の重要文化財に指定されています。
この銅剣は発見された市民の方のご好意により、当センターにご寄贈いただきました。小学校での出前授業で子供たちに見てもらうなど、有効に活用させていただきます。

三宅で採集された細形銅剣
細形銅剣
出土遺跡
参考資料
参考資料:岸田遺跡出土の銅剣など

湖州鏡(こしゅうきょう)

遺跡名:香椎B遺跡第8次調査
資料名:湖州鏡
時 代:中世

香椎B遺跡(東区大字香椎)では中世後半の山城である御飯ノ山城(おいのやまじょう)とその麓に広がる屋敷群が発見されています。第8次調査においても中世の集落や墓が見つかりました。3基の墓から湖州鏡と短刀、中国からの輸入陶磁器(白磁・青磁)が出土しました。
湖州鏡は中国の宋代(960から1279年)に浙江省湖州で作られた鏡で、平安時代後期から鎌倉時代にかけて貿易陶磁とともに日本に輸入されました。背面に文様がなく「湖州」の銘を鋳出した鏡が多く見られます。形状は円形、六花形、方形など多様で、九州には六花形、平安京周辺には円形、東北地方には方形が多いという地域性が見られ、複数の交易ルートがあったと推測されます。香椎出土の湖州鏡3面は、いずれも縁を6枚の花びらに見立てた六花形で、2面に銘があり、うち1面は「湖州真石念 二叔家照子」と読めます。

火葬墓から出土した湖州鏡
火葬墓から出土した湖州鏡
銘文の透過エックス線画像
銘文の透過エックス線画像
湖州鏡が出土した配石墓
湖州鏡が出土した配石墓
湖州鏡が出土した火葬墓
湖州鏡が出土した火葬墓

和 鏡(湖州鏡に関連して)

遺跡名:海の中道遺跡、箱崎遺跡、博多遺跡群など
資料名:和鏡
時代:平安時代から近世

鏡の背面に描かれたデザインに注目すると、中国・朝鮮半島から伝わった古墳時代までの鏡は、円形キャンバスを小さく区割りし、その中に三角形や丸、動物や神様を抽象化した図像などを散りばめています。幾何学模様や記号を配した図に近いデザインです。鏡は光を反射することから、当時の人々は鏡を太陽の化身と考えていました。その模様にも何らかの呪術的な力を封じ込めたのかもしれません。

やがて平安時代になると、日本独自の国風文化が開花しました。貴族の服装である十二単(じゅうにひとえ)や束帯(そくたい)、寝殿造の住まい、ひらがな・カタカナ、大和絵などです。鏡も平安時代以降、日本独自の発達を遂げ、和鏡とよばれています。
和鏡のいちばんの特徴は、背面に描かれた自然風物(草花・樹木・鳥)の美しい絵です。それまでの図的な模様とはちがって、和鏡では背面をひとつのキャンバスに見たて、そこに日本独特の美しい風物を描いています。縁が垂直に高く立ち上がる鏡や、柄がついた柄鏡(えかがみ)などがあります。鏡の役割が呪術的な意味をもつものから、化粧道具へと変化することも、その変化と関係がありそうです。

八稜鏡
八稜鏡(平安時代10C) 海の中道遺跡
八稜鏡
八稜鏡(平安時代10C)海の中道遺跡
柄鏡
柄鏡(江戸時代)博多遺跡群

庚寅銘太刀(こういんめいたち)の発見

遺跡名:元岡G6号墳
資料名:象嵌銘文大刀
時代:古墳時代

九州大学伊都キャンパス移転地(西区元岡)の元岡G6号墳から文字が刻まれた大刀が出土しました。大刀の背にたがねで文字を彫り、そこに金または銀の線をはめ込む、象嵌(ぞうがん)という手法で文字が刻まれています。透過エックス線撮影の結果、「大歳庚寅正月六日庚寅日時作刀凡十二果□」(最後の□は練の可能性が高い)の19文字が刻まれていることが分かりました。「大歳庚寅」は西暦570年にあたります。ちなみに日本最古の書物、古事記の編纂(へんさん)が712年ですので、文献資料がない時代の文字資料として非常に重要です。
元岡G6号墳は直径18メートルの古墳で、7世紀中頃に築造されています。古墳からは大刀のほかに鉄矛(ほこ)、大型の銅鈴、ガラス玉、耳環(じかん)などが出土しました。

大刀の実物と透過エックス線画像
大刀の実物と透過エックス線画像
元岡G6号墳
元岡G6号墳
銘文文字の3次元エックス線CT画像
銘文文字の3次元エックス線CT画像

庚寅銘太刀(こういんめいたち)速報展示

平成25年2月2日(土)から10日(日)
福岡市埋蔵文化財センター

このたび、庚寅銘大刀の文字の材質が金であることが新たに判明しました。古墳出土の金象嵌の銘文刀剣としては国内3例目となり、資料の重要性がさらに高まりました。過去の出土例はいずれも国宝か国の重要文化財に指定されています。

「作」の一部があらわれました
「作」の一部があらわれました
金象嵌の顕微鏡写真
金象嵌の顕微鏡写真
象嵌線の成分分析(蛍光X線分析)
象嵌線の成分分析(蛍光X線分析)

象嵌線の成分分析(蛍光X線分析)
金の存在を示す赤いピークが3ヶ所にはっきりとあらわれました。
材質は金!それも金が98パーセント、銅が2パーセントでほぼ純金に近い金です。

庚寅銘大刀とは?

2011年9月、福岡市西区の元岡・桑原古墳群の元岡(もとおか)G6号墳から発見された鉄製の刀のレントゲン写真を撮影したところ、刀に19字の漢字が書かれていました。文字は小さな彫刻刀で彫った溝に、金や銀の細い線をはめ込む、象嵌(ぞうがん)という手法で刻まれています。銘文の内容から西暦570年に作られたことがわかります。

 

庚寅銘大刀の保存処理

現在、ここ福岡市埋蔵文化財センターにおいて、刀の保存処理(クリーニングや劣化防止のための処理)をおこなっています。その過程で象嵌が一部顔を出し、材質が金であること、刀は木製の鞘(さや)に収められていたことなどが、わかってきました。
また、3次元のCT画像を用いた新たな調査の試みを、九州国立博物館、九州歴史資料館と協力して進めており、大きな成果をあげています。
今後も、埋蔵文化財センターでさびの中から文字を削りだす作業を進めていきます。

 

何が書かれているの?

銘文:「大歳庚寅正月六日庚寅日時作刀凡十二果練」
意味:(寅の年、寅の月、寅の日。寅が3つ重なる縁起のよい日に、
   12回(=何度も)刀を叩き鍛えて、すばらしい刀をつくりました。)
   ※正月は別名「建寅月」といい、銘文にはないが寅の月。

  • 庚寅(かのえとら・コウイン)の年は60年に一度巡ってきます。また、日についても60日に一度庚寅の日があります。銘文どおりに年と日の両方が庚寅になる確率は、3600分の1!ここに書かれた日付は本当なの?古代史の坂上先生(九州大学)が調べたところ、なんと西暦570年1月6日が庚寅(年)・庚寅(日)。実在するのです!
  • 暦の実在を確認できる日本最古の資料です。
  • 遺物の年代がピンポイントでわかる資料は、考古学的にきわめて貴重です。
「大歳庚寅正月六日庚寅日時作刀凡十二果練」
「大歳庚寅正月六日庚寅日時作刀凡十二果練」
古墳時代の金象嵌有銘刀剣 一覧表
古墳時代の金象嵌有銘刀剣 一覧表