平成19(2007)年度の成果

平成19年度は木製品が16遺跡628点、金属器を中心とするその他の材質は40遺跡807点の保存処理をおこないました。以下、主要なものについて紹介します。

木製品

弥生時代後期の木製品

博多区下月隈C6・7次、西区今宿五郎江遺跡12次の弥生時代後期の木器を紹介します。

組み合わせ式机(案)


福岡市博多区雀居遺跡で組み合わせた状態がわかる案が出土し、これまで北部九州の遺跡で出土していた用途不明木材の用途が判明しました。天板に脚を差し込み、桟(押さえ板)で押さえ、鼻栓で固定するもので非常に規格性の高いものです。また、特異な脚の形状も統一されています。福岡市でも西区元岡・桑原、拾六町ツイジ、博多区比恵、那珂君休、下月隈C、久保園遺跡で部材が出土しています。そのうち復元できた案は雀居遺跡の2組だけでしたが、今宿五郎江遺跡から、8割程度の部材が揃う案が出土しました。このほかにも天板や脚の部材があり、複数の案が存在していたことがわかります。

組み合わせ式机(案)
組み合わせ式机(案)
復元した案
復元した案
斧柄


今宿五郎江遺跡からは多くの鉄斧用の柄が出土しました。斧には柄に対して刃が平行する縦斧と、柄に対して刃が直交する横斧があり、どちらの柄も出土していますが縦斧の数が多いです。一木でつくったものがほとんどですが、柄と斧を付ける部分を組み合わせるものもあります。実際に装着されていたと思われる鉄斧も複数出土していますが、柄の出土数から考えると鉄斧がかなり普及していたと考えられます。

組み合わせ式斧柄
組み合わせ式斧柄

起耕具である鍬は今宿五郎江遺跡、下月隈C遺跡どちらも出土していますが、今宿五郎江は平鍬が多く、下月隈Cは又鍬が多いです。地域差もしくは土質の違いがあらわれているのでしょう。

今宿五郎江遺跡出土鍬
今宿五郎江遺跡出土鍬
下月隈C遺跡出土鍬
下月隈C遺跡出土鍬
容器

今宿五郎江遺跡では形や大きさが様々な木製容器が出土しています。容器は作り方により刳物・挽物・指物・曲物などに分類されますが、今宿五郎江遺跡ではほとんどが刳物容器です。多くの物が厚手で素朴なつくりで、外面が樹皮のままのものもあります。

容器
容器
履物(沓)

板を刳りぬいて作った履き物が今宿五郎江遺跡で出土しています。博多区那珂君休遺跡3次(久平)や那珂君休遺跡7次で出土したものと似ていますが裏側は平底で滑り止めの突起や溝はありません。

履物
履物
不明木製品


カーリングストーンのような木製品が今宿五郎江遺跡から出土しています。用途不明で今のところ塗鏝や地盤を叩き締める道具などを想定してます。

不明木製品
不明木製品

金属器等

博多遺跡群59次調査SC-41出土の鉄鏃

博多遺跡群59次調査のSC-41遺構は、古墳時代前期の鍛冶に関わると見られる竪穴住居です。ここからは、鉄器を製作した際に生じたと考えられる三角形や短冊形の鉄片と共に鉄鏃が出土しています。

出土当初、厚い錆に覆われ正確な形状が分からないまま報告書に掲載されていましたが、今回、この鉄鏃を透過X線で調査したところ、実測図よりもシャープな外形が現れました。


定角式と呼ばれる古墳時代前期に特徴的な形状で、その後、クリーニングを行い、その姿が復元されました。周辺では147次調査でも多くの鉄片と共にやはり定角式の鉄鏃が複数確認されています。明確な証拠は見出し得ていませんが、状況から見てこのタイプの鉄鏃がこの地で作られていた可能性は決して低くないと思われます。定角式の鉄鏃は有力な墳墓に副葬されることが多く、博多の鍛冶工房がどの様な権力の支配下にあったのか注目されます。

博多遺跡群祇園町工区から出土した古墳時代の鉄釧と鏡

昭和53年に地下鉄建設に伴う発掘調査で、博多祇園町工区において、土壙墓と見られる遺構SK-14から、鉄釧(鉄製の腕輪)と鏡が、石製の玉類(勾玉・管玉)とともに出土しました。釧と鏡は一部が接する形で出土、両者に接点の痕跡が残っており、出土状況を再現することが可能です。土器が出土しておらず詳細な時期は不明ですが、副葬品の組成から5世紀前後の時期が想定されています。

鉄釧は外径7.3センチ。当初、表面が砂粒と鉄錆で覆われ詳細な形状は分かりませんでしたが、今回、保存処理に当たり透過X線撮影を行ったところ、太さ5ミリほどの断面円形の丸棒を主環として、小型の環を2個付属した構造であることが判明しました。その後のクリーニングの結果、小環は幅5ミリほどの板を径1.5センチ程度に曲げたものでした。この様な小環を付属する鉄釧は、同じ福岡市では西区の金武城田遺跡1号墳でも出土していますが、めずらしい資料です。

また事前の顕微鏡観察では、鏡と接触していた部分を中心に布と見られる織り目のある繊維が観察されました。残りはあまり良くなく糸の撚りなどが観察できないため断定はできませんが、太さから見ると麻などの植物系繊維と見られます。

青銅鏡は径8センチほどの大きさです。文様は非常に不鮮明で、透過X線による観察でも外周に僅かに鋸歯文が観察される以外に明瞭な文様は見られません。鏡には繊維は付着していませんでした。
周辺では17・20次及び62次調査で、鉄器を副葬する方形周溝墓が検出された他、28次調査では、埴輪を巡らせた全長60から65メートルと推定される前方後円墳、博多1号墳(5世紀前葉)が発見されています。

今回取り上げた祇園町工区SK-14も、鏡と鉄釧、そして玉類を副葬品として有しており、博多1号墳と同時期か、やや先行する有力墳墓として位置づけることができそうです。当該地域の首長系譜を考える上で重要な資料であり、特徴的な釧の発見は被葬者像を推定する上での有益な情報源になるものと考えられます。

鴻臚館から出土したガラス資料の蛍光X線分析調査について

福岡城址43(鴻臚館17)次調査は、平成11年度に発掘調査が行われ、報告書作成の後、遺物が埋蔵文化財センターに収蔵されました。その中に「イスラムガラス」とメモ書きされたガラス片が含まれていましたが、これは分析されたものではなく、見た目から推定されたものでした。この資料は北館と南館の間に設けられた堀が鴻臚館の廃絶後に埋没し池となった部分(SG-1046)から出土しました。池の時期は中世後期(15から16世紀)ですが、中からは鴻臚館の時期に遡る中国製陶磁器類が多数出土しており、中世後期の整地の際に鴻臚館時代の遺物が池の中に廃棄されたものと解釈されています。淡い緑色の透明ガラスで、5×3センチ(厚さ1から2ミリ)大の破片で、何らかの容器と見られます。気泡や汚れ(不純物)が平行して筋状に流れる様子が観察できます。

鴻臚館では、これまでにも3次調査のSK-02と呼ばれる9世紀代の土壙から出土した2点のガラスが、日本電気硝子(株)により材質分析が行われ、マグネシウムの量などから西アジア地方のアルカリ石灰ガラスと報告されました(非公式文書による)。これにより以後、イスラムガラスとして報告、紹介され、注目を集めることとなりました。
埋蔵文化財センターでは、平成11年の分析装置導入以後、ガラス資料の分析を進めていますが、その中で、この鴻臚館3次調査出土の2点の他、福岡県が発掘調査を行った大宰府史跡187次調査で出土した8世紀末から9世紀代のガラス容器片、多々良込田遺跡1次調査の4号溝から出土した8世紀後半から9世紀初頭のものと見られるガラス破片の分析調査を行っていました。分析の結果、色調の違いによると見られる微細な差異は認められるものの、いずれもソーダ石灰ガラスで、定量的な判断ではないものの、アルミニウムは少なく、マグネシウムやマンガンが多いものでした。

これらを踏まえ、鴻臚館17次出土のガラス片を同じ装置、手法により分析を行いました。結果はこれまで得られていた、西アジア地方のガラスとされる特徴を示すものでした。

鴻臚館は廃絶後、近世には福岡城、近代には陸軍の施設として使われており、上層には新しい時代の遺物も多数認められます。出土するガラス資料の中には明らかに新しい(近から現代)瓶類なども含まれるため、念のため比較として他のガラス製品数点の分析も行いました。これらはソーダ石灰ガラスではあるものの、マグネシウムやマンガンのピークが低かったり、亜鉛やヒ素が検出されるなど、古代のガラスとは明確な違いがありました。つまり、鴻臚館17次のガラス片は、新たなイスラムガラスの類例と考えられるものです。