平成28(2016)年度の成果

平成28年度は木製品が14遺跡523点で、金属製品を中心とするその他の材質は19遺跡823点の保存処理をおこないました。以下、主要なものについて紹介します。

木製品

元岡・桑原遺跡群第42次調査出土資料

元岡・桑原遺跡群は、福岡市西部の糸島半島に所在する遺跡です。この遺跡は、九州大学がキャンパスをこの地に移転することに伴って行われた発掘調査によって、その姿が明らかになりました。
本格的な発掘調査は平成8年から始まり、平成27年までの20年間で、66次に及ぶ調査が行われました。現在は発掘調査は終了し、キャンパスの移転工事が続けられています。
調査の結果、縄文時代早期(約9,000年前)から近世まで、幅広い時代の遺構が検出されましたが、中でも、平成23年に発見された「庚寅年銘大刀」は大きな話題となりました。
他にも多くの副葬品を有する群集墳(石ヶ元古墳群)や、古代の製鉄炉とそれに関連すると見られる祭祀具(さいしぐ)や木簡(もっかん)など、福岡市の歴史を知る上で重要な資料が数多く見つかっています。

元岡・桑原全体空撮

今回紹介するのは、昨年度に引き続き第42次調査で出土した資料です。
元岡・桑原遺跡群の第42次調査は、遺跡群全体の南側、古今津湾(こいまづわん)と呼ばれる、かつては糸島半島の付け根に入り込んでいた海の奥の北側に位置します。
平成16年から約5年にわたって発掘調査が行われ、調査区の面積は、拡張された部分(52次調査)と合わせ約7,000平方メートルと、元岡・桑原遺跡群で行われた発掘調査の中でも広く、且つ、検出された弥生時代中期から古墳時代前期の流路から、土器を中心に大量の遺物が出土しました。その数はコンテナケースで約1万箱に及びます。

42次調査全体空撮
42次木器出土状況

木製品は全部で500点ほど出土しています。多種多様な器種が見られますが、最も数が多いのは農具、次いで杓子(しゃくし)や容器、建築部材の順となっています。他にも海に関わる道具や、祭祀に用いられたと見られる琴、北部九州の大型拠点集落で出土する組合せ式の机(案)などもあります。

今回紹介する資料は主に弥生時代中期後半頃の資料です。
農具は完全な形の資料は無いものの、鍬、鋤の刃部、部材等があります。(写真1)

また杓子の類も部分的な残存ながら、今年度も10点程度処理が行われました。良好な残存状態の未製品もあり(写真2)、これらがこの地で製作されていたことの傍証となります。

農具
写真1
杓子
写真2

写真3は刳り物の箱形容器です。非常に精緻な作りの身と蓋がセットになった資料も含まれており、特別な品を納めていた可能性が考えられる。市内はおろか、全国的に見ても類例は見られません。対外交流によってもたらされた可能性も視野に入れるべき資料かもしれません。
特異な形状の刳り抜き容器は、身と蓋が重ねられるように、失われた部分を樹脂で復元しました。(写真4)

容器
写真3
組合せ
写真4

人形や陽物、鳥形木製品といった祭祀に関わる資料もまとまって処理されました(写真5)。これらも、福岡市内では出土例のきわめて限られる希少なものです。人形は、滋賀県の大中の湖南遺跡に、大きさは異なりますが形状、表現が類似する出土例があります。

祭祀具
写真5

金属製品

金属製品の保存処理成果としては、まず元岡G-6号墳から出土した庚寅銘大刀が挙げられます。平成23年秋に出土し、直後の透過X線調査で象嵌銘文が発見されました。その後、平成24から26年度に象嵌文字の表出作業を中心とした保存処理作業が行われ、平成27年1月に全19文字の表出が完了しました。平成28年度は、象嵌以外の部分の余分な錆の除去作業を行い、一旦、保存処理が完了となりました(写真1)。
また、28年度には、復元品の製作も行っています。復元品の金象嵌は、九州熊本に伝わる伝統工芸、肥後象嵌の職人である稲田憲太郎氏に依頼しました。高い技術によって、当時の輝きが再現されました(写真2から5)。

庚寅銘大刀
写真1
復元品作業風景
写真2
復元品象嵌作業風景
写真3
比較画像
写真4
象嵌部分比較
写真5

博多195次の蓮弁形青銅製品は、土壙墓(SK54)から出土しました。腰骨の下に置かれており、副葬品ないしは被葬者が身につけていた品と考えられます。平面形は蓮弁状を呈し、僅かに湾曲が見られます。凸面側は銀色の光沢が一部に残り、反対面には全体に繊維や木質が付着しています。類例が大塚18次で出土しており、こちらは平成25年度に保存処理を行っています。大塚遺跡の資料は博多の事例より一回り大きく、下端に刳り込みがある点でやや異なりますが、湾曲の度合い、片面に銀色の光沢がある点などで共通しています。これらの資料は現状では用途不明ですが、中国宋代の鏡には連弁状(中国では桃形とされる)の形態をとるものがあり、博多の資料には縁や鈕は無いものの、時代的な部分も考えると、蓮弁(桃)形湖州鏡を模したものと見ることもできます。

博多195次蓮弁形青銅製品
写真6
大塚18次蓮弁形青銅製品
写真7

弥永原11次の鉄器類は弥生時代後期から古墳時代前期と見られる複数の墳墓の副葬品です。この内、31号土壙墓の袋状鉄斧と、そこに銹着して出土した鉄製ヤリガンナには、折り目の密度が異なる二種類以上の繊維が銹化した状態で付着、残存しています。被葬者の衣服や副葬品を納めていた布の痕跡などと考えられます。

弥永原11次鉄斧・ヤリガンナ
写真8
弥永原11次鉄付着繊維-麻
写真9
弥永原11次鉄付着繊維-絹
写真10

このほか28年度は、弥生時代の北部九州で特徴的且つ希少な青銅製品の保存処理を行っています。
高畑21次では、溝(SD21)から青銅製鋤先が出土しました(写真11)。これは、墓坑を掘るのに使用したという説もあるなど、日常的な道具ではなくハレの場での使用が想定されている資料です。全国的に見ると100例ほどの出土例があり、その大半は福岡県、佐賀県の事例です。市内では比恵・那珂、あるいは今宿五郎江、元岡といった拠点集落やその周辺で約50例弱の出土が知られています。

山王10次では、銅釦(どうこう)と呼ばれる青銅製のボタン状製品や、青銅製ヤリガンナが出土し、保存処理を行いました。
銅釦は全国でも10点程度の出土例しかなく、その多くを佐賀、熊本の事例が締めています。福岡では県域全体を見ても初の事例となります。唯一、鋳型が佐賀県鳥栖市の藤木遺跡で出土しています。
山王10次の事例(写真12)は全体の1/4程度の残存で中央の鈕部分は欠失していますが、径4.2センチ程度に復元され、他の事例と比べると一回り小型です。

青銅製ヤリガンナは朝鮮半島や中国はもちろん、ロシアやベトナムなど東アジアに広く分布するとされています。日本では全国で製品10数例、鋳型2例の出土例があります。鋳型も含め福岡、佐賀、熊本、大分の概ね北部九州に出土が限定される資料です。市内では東入部1次、三苫3次、雀居13次の3例(写真14)に次いで山王10次の出土例(写真13)が4例目となります。

山王10次のこれら青銅器は、2点とも青緑色の色調で表層は腐食生成物に覆われることなく残存している点でよく似通っています。分析による確認はしていませんが、錫分の多い青銅器に特徴的な質感を示しています。

高畑21次鋤先
写真11
山王10次銅釦
写真12
山王10次ヤリガンナ
写真13
市内青銅ヤリガンナ事例
写真14