平成17(2005)年度の成果

平成17年度は木製品が17遺跡287点、金属製品を中心とするその他の材質は20遺跡点の保存処理を行いました。以下、主要なものについて紹介します。

木製品

下月隈C遺跡出土の木製品(弥生時代後期(世紀)他)

下月隈C遺跡は福岡空港の滑走路南端部分に広がっており、洪水対策の調整池建設に伴い10年近くを費やして大規模な調査が行われた中で、隣接する雀居遺跡と同様に古代の水田、縄文時代晩期から弥生時代の河川などが検出され、数多くの木製品が出土しています。この中には、弥生時代に属する鍬(くわ)や鋤(すき)、斧の柄など一般的な農工具類はもちろん、特殊な木製品なども含まれておりバラエティーに富んでいます。まずは机(案)の脚です。4次調査で2点、5次調査で1点が出土しています。杉の板を加工して、脚、天板、抑え板などの部品を作り、組み立てて使います。完全な形の資料は雀居遺跡の4次調査で出土しています。用途は明確ではありませんが、同じ構造、デザインの製品が福岡はもちろん大分、長崎、佐賀など北部九州一円に広がっており、何か共通の祭式に用いられたと考えられます。特に雀居と下月隈では、脚だけで30点近く出土しており、相当な数のセットが存在したことが窺えます。

机の脚
机の脚
類例-雀居4次机
類例-雀居4次机

また、次調査では調査区の東端で琴の天板が見つかっています。残念ながら先端から半分程度を失っていますが、現存長で85センチもある大型品です。同じ奴国の領域である春日市辻田(つじばたけ)遺跡でも、同様の大型琴の天板が完全な形で発見されていますが、全国的にはそれほど類例の多くない、珍しい資料です。どんな場面でどの様な人が、どんな音楽を奏でていたのでしょうか。同じ5次調査では小型の弦楽器と見られる資料も出土しています。

琴

他に注目すべき遺物としては、サンダル状の履物が2点あります。これは足の形に一回り大きく切った木を浅く彫り窪め、くるぶしにあたる辺りの左右に紐を通すための孔を開け、裏側には滑り止めのためか幾筋かの溝を彫っています。同様の資料は、市内では雀居遺跡、那珂君休(なかくんりゅう)遺跡などで見つかっており、これらはいずれも弥生時代後期から古墳時代初頭に属しています。『魏志倭人伝』には倭人は裸足であると書かれていますし、日常の履き物とするには履き心地が悪そうです。
広島県三原市にある「日本はきもの博物館」には全国の様々な履物に関する資料が集められていますが、そこには長野県の民俗資料としてよく似た形のものがあるほか、愛知県で昭和期に使われていた履物に同様の構造のものが見られます。特に後者は屋根に葺(ふ)くための芦を刈る際に、刈り取った芦の切り株から足を保護する履物であることが分かっています。時代や地域が極端に異なる資料を簡単に結びつけることはできませんが、下月隈などの弥生の履物も一つの可能性として、同様の用途を想定することもできるのではないでしょうか。

履き物
履き物
類例-民具
類例-民具

金属器等

古代の装身具-1(干隈古墳群D群-1号墳出土不明環状銅製品:古墳時代中期(5世紀末))

干隈D-1号墳は城南区梅林に所在した古墳です。石室は既に荒らされていて出土品はそれほど多くありませんでしたが、刀子や鉄鏃の破片、石製管玉やガラス小玉などが出土した他、不思議な金工品が1点含まれていました。この資料は径が2センチほどで指輪のような形をしており、環の太さは約2ミリで断面は円形になっています。材質分析の結果、本体は銅に微量のヒ素が含まれていることや、コブ状に膨らんだ、環を接合したと見られる部分では、本体と同じ元素の他に鉛や錫が含まれていることが分かりました。この接合部分では、電子顕微鏡観察によって、金属組織がヒトデのような形に広がっている様子も観察されています。これらの調査結果から、この資料は銅の細いリボンを螺旋状に巻き、それを環状に曲げて接合部を現代のハンダ付けのように融点の低い金属を使って接合して作られたと考えられます。その想定に基づいて復元品を作ってみましたが、リボンを巻くときには何か芯があった方が作りやすく、今回は麻紐を使ってみました。一体、この様な製品が、いつ、どこで作られたのか、類例の出土が待たれます。

全体写真
全体写真
復元品
復元品
マイクロスコープ
マイクロスコープ
接合部電子顕微鏡画像
接合部電子顕微鏡画像

古代の装身具-2(元岡・桑原遺跡群第27次調査出土石製小玉:古墳時代後期(6世紀後半)?)

元岡・桑原遺跡群の27次調査では、狭長な平地から古墳時代後期の一大住居群が検出されました。その中から出土した、石を磨いて作られた小玉2点に注目してみました。
これら2点の玉は大きさが若干異なりますが、よく似た外観で、緑色に白が混じった石材で作られています。旧石器時代以来、人々は様々な装身具を用いますが、石の場合、緑色系統のものが好んで使われているようです。その代表格がヒスイ硬玉(こうぎょく)です。特に新潟県糸魚川(いといがわ)流域は良質のヒスイ産地として知られ、その石材は国内のみならず、朝鮮半島にも広がっています。
では、この2点もヒスイなのでしょうか。しかしヒスイとは緑の色が微妙に異なります。元岡出土の玉を蛍光X線分析したところ、カリウムやクロムが特徴的な元素として検出され、比重測定では約2.8という結果が得られています。ヒスイはナトリウムやアルミニウム、カルシウムなどが含まれ、比重も3を超えますので、明らかに異なります。似たような外観の石にアマゾナイト天河石(てんがせき)があり、これもカリウムが多く含まれますが、クロムは検出されず、比重も2.6前後と軽いのが特徴です。また、色も緑というよりは青に近く非常に鮮やかな点も、元岡の石材と異なります。つまり、これまで知られている石材には見られない種類であることが分かりました。その一方、市内で出土した装身具を調べてみると、元岡の石材と同じ様な特徴(材質や比重)を持つものが、縄文時代後期の資料で幾つか見られます。
その後、熊本大学で縄文時代の装身具を研究している大坪志子(ゆきこ)氏や小畑弘己氏にご教示いただき、同様の石材が、南九州を中心とする九州一円で見つかっており、中には原石や加工途中の資料が出土する遺跡もあることを知りました。小畑氏らの協力の下、これら石材の調査を進めた結果、クロム白雲母と呼ばれる鉱物にたどり着いたのです。出土品について、外観の他、材質や比重についての特徴は押さえることができましたので、今後は産地を探し当てることで、縄文時代の物流について明らかにされることが期待されます。ちなみにクロム白雲母の装身具は縄文時代後期から晩期が中心で、古墳時代に用いられた例はあまり知られていません。元岡は大原(おおばる)遺跡群にも近く、遺跡内でも縄文時代の遺跡が知られており、27次調査でも包含層から縄文時代の遺物が出土していることなどから、古い時代のものが混入した可能性を考える必要があるかもしれません。

分析チャート-クロム白雲母
分析チャート-クロム白雲母
分析チャート-ヒスイ
分析チャート-ヒスイ
分析チャート-アマゾナイト
分析チャート-アマゾナイト

仏像の材質分析(入定寺弘法大師像:江戸時代(19世紀前半))

博多区上呉服町の入定寺(にゅうじょうじ)には、「文政8年(1825年)・深見甚平」の銘を持つ弘法大師像が安置されています。この像は、その歴史的意義から、平成17年度に福岡市の指定文化財に指定されました。それに際して、文化財保護審議委員会の中で、像の材質を調査すべきとの意見が出されたのですが、像は高さが1メートル近くあり運搬も困難で、仮に動かすことができたとしても、埋蔵文化財センターの装置には入らず分析することができません。
しかし、昨年10月にオープンした九州国立博物館には、最新鋭の文化財調査機器が導入されており、その中に、ハンディタイプの蛍光X線分析装置(含有元素分析のための装置)がありました。これは電動ドリルのような形状で、バッテリーを内蔵し脱着式のポケットコンピュータが組み込まれていますので、場所を選ばない分析が可能となります。そこで、福岡市と九州国立博物館が共同で、この分析装置を用いた調査を行うこととなりました。 装置はピストルのように先端を対象資料に向け、引き金のようなスイッチを押すことでX線が照射され分析を行います。数十秒間の測定で、ある程度のデータを得ることができるので、半日ほどの時間に担当者間で様々な協議を行いながら、30カ所近い場所の測定を進めることができました。
調査の結果、像は銅を主成分として鉛、錫を含む青銅であること、肉眼で色調の異なる鋳掛けや型持ち部分で配合比の異なる可能性のあること、袈裟に残る文様の痕跡では鉄が強く検出されたこと、更に眼球部分では黒目部分で金と銀、白目部分では銀のみが検出され、製作当時は目が輝いていたことなどの成果があり、装置の有効性を十分に確認することができました。今回の結果を見る限り、現地から動かせない資料を分析する際に、大きな力を発揮するものと期待されます。

像全体
像全体
全体分析風景
全体分析風景

土器に残された情報-圧痕レプリカ法の紹介-

いわゆる「保存処理」とは異なる作業ですが、最近行っている一風変わった、それでいて非常に意味のある、保存科学の技術を応用した調査について紹介します。
これは土器に残された圧痕を調べるものです。土器は粘土をこねて作られますが、その際、周囲に落ちているものが、粘土の内部や表面に取り込まれます(中には意図的に粘土に練り込まれるものもあります)。その中でも種子や昆虫などの有機物は、土器の焼成と共に焼かれて灰となり、その部分が形だけ転写された凹み(ネガ)として残されます。これが圧痕です。

土器圧痕の顕微鏡写真
土器圧痕の顕微鏡写真

これらは弥生土器に籾の圧痕があることで稲作が存在することが語られるなど、古くから注目されてきました。しかし凹みの状態のままでは観察が困難なため、この圧痕にシリコーン樹脂を流し込み、再び凸(ポジ)の状態にして、それを電子顕微鏡で観察する「レプリカ法」が、丑野毅氏らによって開発されました。ちなみに電子顕微鏡は電子線を絞って資料の表面に当てて、凹凸や材質の情報を読み取る顕微鏡で、普通の可視光線をレンズで拡大する顕微鏡に比べて、被写界深度(ピントの合う範囲)や解像度に優れており、立体的な資料を細かく観察するのに適しています。
しかし型を取るためのシリコーン樹脂は、そのまま土器に塗ると土器を傷めるので離型剤が必要となります。丑野氏はこれに水を使いましたが、水は乾燥のタイミングを計るのが難しく、多くの資料について作業するには向いていませんでした。そこで当センターでは離型剤にアクリル樹脂を用いることで、安定した作業ができるように改良したのです。

工程1-アクリル樹脂の塗布
工程2-樹脂を塗布した資料
工程3-シリコーンの充填
工程4-資料台の取り付け
工程5-完成した圧痕レプリカ
工程6-電子顕微鏡

そして、山崎純男氏らは、この方法によって縄文時代後期から晩期の土器について圧痕の調査を行い、栽培植物や稲の痕跡を探し求め、農耕の始まりを探る研究を進めています。これまでの研究では、遺跡から出土する種子そのものや、イネ科植物の花粉などを調べる研究が主流でしたが、種子や花粉などは非常に小さく、異なる時代の地層から紛れ込んだりするという問題もありました。それに対して圧痕の研究は、土器そのものに証拠が残されているので、この様な問題は排除することができるというメリットがあります。
また、土器は砂粒の集まりでザラザラした印象がありますが、圧痕の部分には非常に微細な粘土の粒子が集まるようで、中には1000倍程度の拡大に耐えうるほどの驚くほど細かい情報が映し出されます。

ワクド-SEM-1
石ノ本-カジノキ-SEM-3
石ノ本-イノコヅチ-SEM
石ノ本-イノコヅチ-SEM
石ノ本-イノコヅチ-SEM
石ノ本-イノコヅチ-SEM