平成22(2010)年度の成果

平成22年度は木製品が26遺跡401点、金属製品を中心とするその他の材質は28遺跡497点の保存処理をおこないました。以下、主要なものについて紹介します。

木製品

今年度処理をおこなったのは、東区香椎A遺跡、博多区下月隈C遺跡6から9次、南区笠抜遺跡1次、早良区重留村下5次、西区金武青木A遺跡1次調査出土木製品などで、昨年に続き、柱根や礎板、建築材といった大型品が中心です。この中から金武青木A遺跡の木器を紹介します。

新発見の文字資料(金武A遺跡1次)

金武青木A遺跡は西区大字金武、早良平野の南端部に位置しています。掘立柱建物4棟以上、炭窯、鍛冶炉、池状遺構などが発見されました。池状遺構からは墨書された須恵器や字をへらで刻んだ土師器などとともに木簡が出土しました。文字史料が限られる古代では大変貴重な発見です。今回発見された9点の木簡の中には「延歴(暦)十年」(791年)と年号が書かれたものや人名と思われるものが書かれたものが見つかっています。その中で、「怡土城」、「志麻郡」と書かれた木簡が注目されます。怡土城とは福岡市と糸島市の境、高祖山に築かれた古代山城で、国の防衛施設です。また、遺跡が立地する早良郡ではなく、「志麻郡」と書かれていたことなどから、この遺跡が国家的施設の役割を持っていたのではないかと考えられています。そしてこれらのことから遺跡が怡土城から日向峠を越え、大宰府へ向かう最短ルートの近くに立地している事に意味があったと想定されます。これらの木簡は糖アルコール法による保存処理をおこないました。

金武青木A遺跡遠景
金武青木A遺跡遠景
金武青木A遺跡の位置
金武青木A遺跡の位置
金武青木A遺跡出土木簡 実測図と赤外線写真(1/2)
金武青木A遺跡出土木簡 実測図と赤外線写真(1/2)

金属器等

銅剣・銅矛など大量出土(岸田遺跡:弥生時代中期)

岸田遺跡(早良区早良4丁目所在)は早良平野が最も狭まる最奥部の、平野が一望できる丘陵地にあります。発掘調査で弥生時代中期の甕棺墓78基、土坑墓・木棺墓8基が確認されました。そのなかの木棺墓1基と甕棺墓5基から、銅剣5本・銅矛3本・鉄戈(てっか)1本・青銅製把頭飾(はとうかざり)1点・勾玉や管玉などの副葬品が出土しました。大量の青銅器が出土した早良平野の遺跡としては、これまで国史跡・吉武高木遺跡と吉武大石遺跡が知られています。
銅矛には、刃部に布目痕跡が付着することから布を巻いて副葬したとわかるもの、筒部内部に木質が残るものがあります。鉄戈はほぞ穴には紐の痕跡が確認でき、また柄の木質が一部付着することから、柄に着装した状態で甕棺内に副葬されたことがわかります。青銅製把頭飾は高さ6.2センチを測り国内最大かつ国内最古のものです。

岸田遺跡01
把頭飾等が出土した0473甕棺墓
把頭飾等が出土した0473甕棺墓
鉄戈が出土した0443甕棺墓
鉄戈が出土した0443甕棺墓

弥生時代の鍛冶工房(大塚遺跡第14次調査:弥生時代終末)

大塚遺跡は西区今宿町にあります。第14次調査地点は、古墳時代中期初頭の前方後円墳である大塚古墳(全長64メートル)の西側に隣接しており、弥生時代終末期から古墳時代中期にかけての集落跡が発見されました。
弥生時代終末期の竪穴住居から鍛冶関連遺物とかまどが見つかりました。かまどをもつ住居としては国内でも最も古い段階のものになります。また、鉄製品を製作する際に生じる大量の小さな鉄片や、鍛冶具と見られる石器がセットで出土しました。鉄片は小さな三角形や棒状の形をしています。三角形鉄片は、薄く延ばした四角形の鉄板の四隅をタガネで切断して鉄鏃や鉄鎌を製作した際に生じた残滓だと考えられています。

大塚遺跡01
鍛冶鉄片が出土した竪穴住居
鍛冶鉄片が出土した竪穴住居
「三角形鉄片」が生じる過程
「三角形鉄片」が生じる過程

圭頭大刀(元岡G-1号墳:7世紀初頭)

元岡古墳群G-1号墳は西区元岡の九州大学移転地内にあります。古墳の形態は一辺約18メートル の方墳と考えられ、この時期の古墳では最大級の大きさです。造られた時期は出土遺物から7世紀初頭と考えられます。石室の天井部などが破壊されていたにも関わらず、豪華な副葬品が残されていました。装飾付圭頭(けいとう)大刀(たち)など大刀4本、銅鏡1面、胡?(ころく)・馬具・耳環のほか、銀製空玉(うつろだま)・琥珀製ナツメ玉・水晶製切子玉(きりこだま)・ヒスイ製勾玉など多種多様な玉類が出土しました。
出土した大刀の1本は圭頭大刀とよばれる装飾大刀です。大刀を握る柄(つか)の先端(=柄頭(つかがしら))に山形の金銅製飾りがつき、その形が将棋の駒の頭部に似ることから圭頭柄頭と呼ばれます。製作には高度な金工技術が必要です。また柄には銀線を巻いており、長さは約90センチです。

元岡古墳
元岡古墳

耳環の製作技法(桑原古墳群A‐10号墳:古墳時代後期)

西区元岡の九州大学移転地内にある桑原古墳群A‐10号墳から3点の耳環が出土しました。耳環は色調と太さから2種類にわかれます。耳環開口部の顕微鏡観察と蛍光エックス線による材質調査の結果、A.は開口部にしわがあり、金・銅が検出され水銀は検出されない、B.は開口部にしわがなく、金・銅・水銀が検出される、という特徴がありました。このことから両者は異なる方法で製作されていることがわかります。Aは銅芯に薄く延ばした金板を巻きつけた銅芯金板張耳環、Bは銅芯に金メッキをほどこした銅芯金鍍金耳環とよばれるものです。

 銅芯金板張耳環
A. 銅芯に薄く延ばした金板を巻きつけた 銅芯金板張耳環
桑原古墳
銅芯に金メッキをほどこした銅芯金鍍金耳環
B.銅芯に金メッキをほどこした銅芯金鍍金耳環
桑原古墳