土師皿転用坩堝・真鍮坩堝蓋

Collection No. 59

土師皿転用坩堝(はじざらてんようるつぼ)・真鍮坩堝蓋(しんちゅうるつぼふた)(中世 16世紀後半)

分類
土器・土製品
時代
中世
遺跡名
博多85次

一見すると何の変哲もない土師器(はじき)の皿の破片と蓋のような土器だが、これらは金属の加工に用いられた道具である。戦国大名達が鎬(しのぎ)を削っていた16世紀後半の博多で使われていた。
土師器の皿は、顕微鏡観察やX線分析で、銀の粒と、その周囲に鉛や燐(りん)が付着していることが分かり、灰吹(はいふき)と呼ばれる銀の精錬(せいれん)に転用されていたものと考えられる。16世紀後半といえば、世界遺産にもなった石見銀山(いわみぎんざん)の採掘が盛んな頃で、日本はシルバーラッシュの時代であった。石見銀山を開いたとされる神屋寿禎(かみやじゅてい)は博多商人としても知られ、その関係が注目される。
蓋の方は、内側の縁に緑青(ろくしよう)が付着し、その部分の分析で銅と亜鉛(あえん)が、また蓋の凹んだ部分からは亜鉛が検出されたことから、真鍮(しんちゆう)(黄銅)を溶かす坩堝の蓋と考えられる。真鍮は銅と亜鉛の合金で、英語ではBrass。現代ではブラスバンドの楽器に使われる金色の金属である。
真鍮に含まれる亜鉛は非常に蒸発しやすい金属のため、加熱して溶かす際にはこの様な蓋が必要だったと考えられる。真鍮は金色の金属として重宝されるが、加工が難しく、日本では戦国時代頃から加工が始まるが、その実体はまだよく分かっていない。博多で中世の真鍮加工に関する資料はまだ珍しく、技術交流の解明につながる資料と期待されている。