6. 福岡の近代遺産
戦後、福岡の商業の中心として発展し続ける天神町に残された近代遺産を巡るまち歩きをご紹介します。九州一の都心として親しまれる天神、その歴史・文化の奥深さに触れるまち歩きをお楽しみください。近代建築等を見て歩くと、文明開化の音が聞こえてくるかもしれません。
時間…1時間 距離…2.5km
[1] 福岡市役所跡碑
・福岡市が誕生したのは明治22 年(1889 年)4月1日のことです。このとき市役所があった場所を示しています。当時の人口は5万人でした。
約2分
[2] 福岡市赤煉瓦文化館
・明治42 (1909)年に日本生命九州支店として竣工した建物です。
・明治時代のわが国を代表する建築家辰野金吾(東京駅等を設計)、片岡安の設計によります。
・尖塔やドームを有するなど小規模ながら変化に富み、赤煉瓦と白の石材の組み合わせは、19 世紀末に英国で流行したスタイルです。
・現在は福岡市赤煉瓦文化館として活用されています。
約4分
[3] 旧県庁跡地
・ステップガーデンが特徴的なアクロス福岡とそのステップガーデンと一体となった天神中央公園がある位置が旧福岡県庁跡地です。中央公園南東に位置する噴水広場に旧福岡県庁で使われていた石柱や石材が使用されています。
・公園南側には「福岡藩刑場跡」の碑があり、これは空誉上人が処刑されたことを供養するためのものと伝えられています。
約3分
[4] 旧福岡県公会堂貴賓館
・旧福岡県公会堂の一部で第13 回九州沖縄八県連合共進会の開催に際し、会期中の来賓接待所を兼ねて建設されました。数少ない明治時代のフレンチルネッサンスを基調とした木造2 階建の洋風建築です。
・見学することができ、また一部はカフェとして公開されています。
約3分
[5] 原田種夫文学碑・ブラジレイロ跡
・原田種夫は明治34年、春吉生まれの文学者です。昭和13年「九州文学」を創刊するなど九州の文学の発展につくし、その作品は芥川賞・直木賞候補に何度もあがりました。
・ブラジレイロは那珂川河畔に昭和9年開店した、2階建てで白い建物の喫茶店です。原田によれば「文学青年のたまり場で、一杯のコーヒーで何時間も文学論議をかわしても平気で、実に気持ちのよい茶房」だったといいます。北原白秋や立原道造(たちはら みちぞう)も訪れました。昭和19年、強制疎開のため取り壊されました。
約10分
[6] 博多町家寄進高灯籠
・明治32年(1899 年)に博多の金山堂という漬物商・八尋利兵衛(やひろりへい)が遊園地「向島」を建設した際に開園を記念して建てた燈籠です。昭和29年に現在の場所に移設されました。この石灯篭の四面には、びっしりと協賛した商店の屋号がびっしりと刻み込まれています。現在の広告塔の走りではないでしょうか。
約7分
[7] 川丈座・「五足の靴」文学碑
・明治40年7月31日、与謝野鉄幹は4人の若者、北原白秋、吉井勇、平野万里(ひらの ばんり)、木下杢太郎(きのした もくたろう)とともに福岡に入り、歓迎会のあった西公園から小舟で博多に着きました。「旅館と温泉宿と寄席と水上花火を装置した納涼店」と記された川丈旅館に一泊したあと、5人は九州各地を歩き、その旅行記は『五足の靴』として東京の新聞に連載されました。
・「五足の靴」文学碑は、一行の九州入り60周年を記念して昭和41年に建てられました。「旅籠屋の名を川丈といひしことふとおもい出てむかし恋しむ」という吉井勇の歌が刻まれています。
約3分
[8] 川上音二郎像
・日本で最初の世界的エンターテイナーとして知られる川上音二郎(かわかみおとじろう)の銅像です。博多座の近くに位置しています。
・川上音二郎は、筑前黒田藩(福岡藩)出身の「オッペケペー節」で一世を風靡した興行師・芸術家、新派劇の創始者です。川上の始めた書生芝居、壮士芝居はやがて新派となり、旧劇(歌舞伎)をしのぐ人気を博し、「新派劇の父」と称されました。
・中には、芸が身に着くようにとこの像をさわっていく方もいるそうです。