中世博多の繁栄

1. 中世博多の繁栄

日宋貿易を通じて世界の文化が行き交った、中世の最先端都市「博多」の歴史・文化の奥深さを楽しむまち歩きを紹介します。歴史や伝統と最先端の文化が混在する中世国際都市「博多」に思いを巡らすまち歩きをお楽しみください。

時間…3時間  距離…3.3km

[1] 博多駅

・まち歩きのスタートは九州の玄関口、博多駅です。
博多駅は明治22年の九州鉄道開通時に、現在の出来町公園付近に設けられました。その後、祇園交差点付近に移転。更に旅客数の増大や鉄道の高速化に伴い、昭和38年に現在地に移転しました。現在の駅舎は、平成23年の九州新幹線開通に伴って建て替えられ、4代目となります。

約10分

[2] 博多歴史の散歩道

・博多駅前からまっすぐ北へ延びる大博通りの歩道上に設置されたモニュメントで構成される散歩道です。遺跡出土品のレプリカや写真などが展示され、奴国の時代から近代までの博多の歴史を学ぶことができます。

約5分

[3] 九州鉄道発祥の地の碑

・九州の鉄道関業九十周年を迎えるにあたり、ここに先人の偉 業を偲び合わせて鉄道発祥の地を永久に保存するため、出来町公園に碑を建立されました。

約5分

[4] 承天寺

・臨済宗東福寺派の寺院です。山号は萬松山です。
・開山は聖一国師 円爾弁円(えんに べんねん)によるものです。大宰少弐武藤資頼が円爾弁円を招聘し、宋出身の貿易商・謝国明の援助により仁治3年(1242)に創建されました。
・寺蔵の釈迦三尊像(鎌倉期)、 禅家六祖像(鎌倉期)、銅鐘(高麗時代)は国の重要文化財に指定されています(これらの文化財の一般公開は行われていません)。

約5分

[5] 聖福寺

・臨済宗妙心寺派の寺院です。山号は安国山です。
・建久6 年(1195)、千光祖師栄西の開山です。二度の入宋を果たして帰国した栄西が建てた日本最初の本格的な禅宗寺院です。
・現存する主要建造物は江戸時代に再建されたものですが、三門、仏殿、本堂が一直線に並ぶ伽藍配置は、禅宗寺院の典型的な伽藍型式をよく示しており、境内は国指定史跡となっている。
・大鑑禅師像その他の国指定重要文化財を所蔵しています。境内にある瑞応庵には、無銘の石碑に転用された花崗斑岩製の蒙古碇石(出土地不明)があり、県指定考古資料になっています。また、戦国時代の史料である「安山借家牒」、「聖福寺古図」は市指定文化財になっています。

約5分

[6] 東長寺

・真言宗の九州における本山です。山号は南岳山、本尊は弘法大師です。
・寺伝では大同元年(806)、唐から帰国した空海(弘法大師)が海辺の地に一伽藍を建立したと伝わります。後に、兵火により焼失しますが、二代福岡藩主黒田忠之が現在地に再建しました。
・千手観音像(藤原時代)は重要文化財です。輪蔵と覆屋からなる六角堂は形態的・機能的に優れた仏殿で市指定の有形文化財(建造物)となっています。寺内に黒田忠之、光之(三代藩主)などの墓があり、黒田家墓所として市指定史跡となっています。
・平成4 年には「福岡大仏」が完成し、多くの人に親しまれています。

約5分

[7] 博多町家ふるさと館

・明治・大正時代の博多の暮らしや伝統文化を紹介する施設です。博多織の展示の他、博多挟み、博多人形など、博多ならではのお土産物も揃っています。

約2分

[8] 櫛田神社

・博多の総鎮守として崇敬される神社です。天平宝字元年(757)の創建と伝えられています。
・祭神は大幡主命(おおはたぬしのみこと、櫛田大神)、天照大神(あまてらすおおみかみ)、素戔嗚尊(すさのおのみこと、祇園大神)です。
・一説には、平清盛が博多を日宋貿易の拠点港とした平安末期に、平家の所領肥前国神埼荘の櫛田神社を勧進したものとも言われています。
・7月1日から15 日にかけて行われ、当社に奉納される祇園山笠行事(国指定無形民俗文化財)は博多の夏の風物詩となっています。境内には「櫛田の銀杏」(県指定天然記念物)が育ち、そのふもとには2 点の蒙古碇石(県指定考古資料)も見ることができます。
・博多歴史館には神社が所蔵する多くの資料が収められています。

約2分

[9] 博多川端商店街

・博多リバレイン、博多座からキャナルシティ博多までをつなぐ、およそ400メートルのアーケードに約100店舗が並ぶ商店街です。
・博多祇園山笠の期間には、唯一の走る飾り山笠が展示されます。
・まち歩きはこれで終了。アーケード街を抜けて、中洲川端駅へ。