康永三年銘梵字板碑

紹介文
板状の玄武岩の自然右で、高さ165cm、幅145cm、厚さ20~25cmを測る。もとは、聖福寺西門近くにあったが、江戸時代に石堂橋の端に移され、近年道路整備によってさらに南に移動している。
濡衣塚ともよばれるのは、濡衣をきせられた娘の墓という後世の伝説による。
碑面の上部中央に「バン 金剛界大日如来」、向かって右下に「アク 胎蔵界宝憧如来」、左下に「アク 胎蔵界天鼓雷音如来」の三尊の種子を、無円相で幅広に深く薬研彫りしている。
大日如来の種子の下に「康永三年八月日」、向かって右下に「接待講衆」、左下に「合廿七人」の銘が刻まれている。さらにその両側には、27人の講衆の人名が刻まれている。
康永三年(北朝の年号1344年)の銘により造立の時期を14世紀中葉に求めることができるが、銘文から造立の主旨をうかがいい知ることはできない。
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