3. 福岡城内
福岡藩12代、約270年の居城であった福岡城は、那珂川から室見川に至る城下町を含む、壮大な城でした。現在、城は三の丸の内側、48万㎡が国の史跡に指定され、石垣や櫓、門の遺構を見ることができます。かつての城内を巡るまち歩きをお楽しみ下さい。
時間…約2時間 距離…2.6km
[1] 堀石垣展示室
明治43年の第13回九州沖縄八県連合共進会に伴う工事で埋立てられた福岡城内堀の北側部分が、60数年後の昭和51年、地下鉄工事に伴って発見・調査されました。その石垣の一部が保存、公開されています。
約3分
[2] 東学問所跡
天明4(1784)年、東西二ヶ所に設けられた藩校のひとつ東学問所(修猷館)跡です。初代館長は竹田定良で、朱子学派の厳格な学風を重んじました。亀井南冥が主宰した西学問所廃校後は藩士教育の中心機関となりました。現在の修猷館高校の前身にあたります。
約3分
[3] 福岡城跡
関ヶ原の戦いののち、豊前中津から筑前に入国した黒田長政が、名島城にかわり慶長6(1601)年から約7年をかけて築いた城です。黒田家ゆかりの備前(びぜん)国邑久(おく)郡福岡から名をとって福岡城とし、以後黒田家12代、270年の居城となりました。
天守閣が建てられたかどうかは不明ですが、伝えるところによれば櫓47ヵ所、門10ヵ所を構えた壮大な城でした。現在、一部の櫓や門以外はほとんど残っていませんが、二の丸、本丸、天守台を囲む石垣がむかしの姿をしのばせます。
内堀に囲まれた約48万㎡が国の史跡に指定されています。
約1分
[4] 上之橋御門
3ヶ所あった城内への入り口のひとつです。かつては二層の門でした。ほかの2ヶ所は西側の「下之橋御門」、西南側の「追回し御門」です。追回し御門は現存しません。
約3分
[5] 福岡城むかし探訪館
福岡城の案内施設です。福岡城の復元模型の展示や、復元CGの上映を行っています。
約2分
[6] 鴻臚館跡展示館
鴻臚館とは平安時代、平安京、難波、筑紫の3ヶ所に設置された外交施設です。
昭和62年、平和台球場改修工事に伴う発掘調査で、鴻臚館の建物などの遺構と中国陶磁器、イスラム陶器、西アジアのガラス容器など国際色豊かな遺物が発掘されました。その遺構と遺物の一部は、復元された建物とともに鴻臚館跡展示館で見ることができます。
国の史跡に指定されています。
約1分
[7] 東御門
東から二の丸に入る門です。門の右手には革櫓がかつてあり、その石垣には鏡石と呼ばれる大きな石がはまっています。
約3分
[8] 扇坂御門
東御門を入り西に進んだところにある門です。門内側の石段が扇形に広がっていたことからこの名がつきました。
この門には「お綱伝説」があります。
約1分
[9] 本丸表御門
北側から本丸に入る門です。
大正7年に黒田家の菩提寺である崇福寺に払下げられ、現在「崇福寺山門」として県の文化財に指定されています。
約1分
[10] 福岡城祈念櫓
本丸の東北隅に鬼門封じのために建てられた二層の櫓です。大正7年、北九州市の大正寺に移築されましたが、昭和58年、再び福岡城の元の場所に戻されました。
県の文化財に指定されています。
約1分
[11] 本丸御殿
本丸は藩主の居住地であり、政治上の事務などをとり行った場所です。本丸には20以上の部屋からなる本丸御殿がありました。
約1分
[12] 鉄(くろがね)御門
本丸から天守台にあがる小さな門です。鉄板を打ち付けた扉が二重に配置されていたと伝えられています。大正4年6月に老朽化のため崩落しました。
約1分
[13] 天守台
天守台には東西25m、南北22.5mの礎石列があります。これから松江城あるいは姫路城と同規模の天守閣が想定されていますが、実際に建てられていたかどうかは明らかではありません。
約3分
[14] 裏御門
表御門同様、本丸に入る門です。門の西側には太鼓櫓が続いていました。
約3分
[15] 福岡城南丸多聞櫓
47の櫓のうち唯一当時の位置を保っている櫓です。南西角にある二階建ての角櫓と桁行30間の西平櫓からなります。中は16の部屋に仕切られ、一般的な吹き抜けの多聞櫓とは異なっています。
国の重要文化財に指定されています。
約5分
[16] 松の木坂御門
西北から二の丸に入る門です。門の北には大組櫓、西には向櫓が続いていました。
約5分
[17] 名島門
名島城の脇門といわれ、初代藩主黒田長政が黒田二十四騎のひとり林掃部に与え、掃部は屋敷の門として使ったと伝えられています。戦後、現在地に移されました。
市の文化財に指定されています。
約1分
[18] 母里太兵衛長屋門
黒田二十四騎のひとりで、「黒田節」でも知られる母里太兵衛の屋敷に構えられた門です。現在の天神二丁目にあったものを、昭和40年現在地に移築復元しました。
県の文化財に指定されています。
約2分
[19] 御鷹屋敷跡
黒田如水晩年の屋敷跡です。築城のさい、本丸より高かったので削って低い岡にしたと伝えられています。
約2分
[20] 伝潮見櫓
この櫓は大正時代、城内から黒田家浜町ち)別邸に移築され、昭和31年現在地に移築・復元されたものです。
その後の調査で潮見櫓は崇福寺に移築されていたことが明らかとなり、この櫓の名称がわからなくなりました。
「伝潮見櫓」として県の文化財に指定されています。
約1分
[21] 福岡城下之橋御門
福岡城の門のうち、現在も本来の位置を保っているのがこの門です。
平成12年不審火で一部焼失しましたが、その後の復元工事で本来の二層櫓門として再生しました。
県の文化財に指定されています。