【指定】その他
万葉歌碑(志賀島第10号歌碑)髪梳の小櫛取りも見なくに」(巻3・278)
国民休暇村向かい側の海水浴場(下馬ノ浜)に建てられている。
大宰少弐にも任じられた石川少郎の作とされる。志賀の海人は海藻を刈ったり、塩を焼いたりして暇がなく、髪をすく櫛を手にとって見ることもない。という意味で、毎日の重労働のために、身なりを整える暇もない志賀の海女を想い、詠んだ歌である。
指 定 | その他 |
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所 在 地 | 福岡市東区大字勝馬 |
時 代 | 現在 |
【指定】その他
万葉歌碑(志賀島第10号歌碑)指 定 | その他 |
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所 在 地 | 福岡市東区大字勝馬 |
時 代 | 現在 |
【種別】埋蔵文化財
この古墳は、7世紀中ごろ(古墳時代終末期または飛鳥時代)に造られたもので、勝馬(かつま)を拠点とした海人(あま)集団の首長の墓と考えられる。 ...
【指定】未指定
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【指定】その他
「大船に小船引きそへかづくとも 志賀の荒雄にかづきあはめやも」(巻16・3869) 志賀島北端部の国民休暇...
【指定】その他
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【指定】未指定
「志賀の山いたくな伐りそ荒雄らが よすがの山と見つつ偲はむ」(巻16・3862) 志賀島の北端国民休暇村の南側に...
【指定】未指定
勝馬の集落内、西福寺裏山の墓地中にある。もとは3つの墳丘があったといい、その1基が昭和31年に発掘された。墳丘には積石をもち、内部主体は...