【指定】未指定
中津宮古墳墳丘の規模や形態は神社の造成で不明だが、長さ2.75m、幅1.65mの竪穴系石室が検出された。須恵器、鉄製武器、耳環やガラス玉の装飾品などが副葬されていた。7世紀前半に築造された古墳で、勝馬を拠点とした海人集団の首長の墓であろうと調査者は推定している。
現在は埋め戻されて、古墳を見ることはできない。
参考文献
福岡市教育委員会 1995 『志賀島・玄界島』(福岡市埋蔵文化財調査報告書第391集)
指 定 | 未指定 |
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所 在 地 | 福岡市東区大字勝馬 |
時 代 | 古墳 |
【指定】未指定
中津宮古墳指 定 | 未指定 |
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所 在 地 | 福岡市東区大字勝馬 |
時 代 | 古墳 |
【種別】埋蔵文化財
この古墳は、7世紀中ごろ(古墳時代終末期または飛鳥時代)に造られたもので、勝馬(かつま)を拠点とした海人(あま)集団の首長の墓と考えられる。 ...
【指定】その他
「志賀の海人は藻刈り塩焼きいとまなみ 髪梳の小櫛取りも見なくに」(巻3・278) 国民休暇村向かい側の海水浴場...
【指定】その他
「大船に小船引きそへかづくとも 志賀の荒雄にかづきあはめやも」(巻16・3869) 志賀島北端部の国民休暇...
【指定】その他
志賀島の北部には国民休暇村があり、ここには3基の万葉歌碑と荒雄の碑、資料館、そして何よりも美しい玄界灘が水平線まで広がる。 しかのし...
【指定】未指定
勝馬の集落内、西福寺裏山の墓地中にある。もとは3つの墳丘があったといい、その1基が昭和31年に発掘された。墳丘には積石をもち、内部主体は...
【指定】未指定
「志賀の山いたくな伐りそ荒雄らが よすがの山と見つつ偲はむ」(巻16・3862) 志賀島の北端国民休暇村の南側に...