遺跡のみどころ

吉武高木遺跡を代表する3つの重要遺構と、吉武遺跡群の変遷について紹介します。

  1. 重要遺構1特定集団墓
    1. 1最古の王墓発見か?
    2. 2弥生人の生と死
    3. 3続々と出土する豪華な副葬品
    4. 4有力者たちが眠る場所特定集団墓
    5. 5国の出現と東アジア世界
    6. 6シカに見る弥生人の精神世界
  2. 重要遺構2甕棺墓群「甕棺ロード」
    1. 1甕棺ロードへようこそ
    2. 2甕棺ロードVS特定集団墓
    3. 3弥生のタイムカプセル「甕棺」
    4. 4甕棺の移り変わり
  3. 重要遺構3大型建物
    1. 1謎の大型建物あらわる
    2. 2大型建物の復元
  4. 吉武遺跡群の発展と衰退
特定集団墓

重要遺構1特定集団墓

他地域にさきがけて出現した有力者たちの墓で、中でも優れた副葬品を持つ3号木棺墓は、「最古の王墓」と呼ばれています。

2.弥生人の生と死大勢の人に、
見送られていたんだね

葬り送る儀式

弥生時代の埋葬方法は土葬で、墓穴を掘って遺体を納めた棺を安置しました。現在棺といえば、まず遺体を納めて葬儀の場に置き、儀式が終わると火葬場に持ち運ばれていくものです。しかし、特定集団墓の甕棺墓や木棺墓をみると、棺はとても大きくて重く、遺体を納めて持ち運ぶのに適したものではありません。このため墓穴にあらかじめ棺をすえ、その後に遺体や副葬品を納めるといった埋葬方法を想定することができます。特定集団墓における埋葬の順序は以下のようにまとめることができるでしょう。

葬り送る儀式

埋葬の順序

① 墓穴を掘り、棺(木棺・甕棺)を安置する。

② 棺の中に、遺体や副葬品を納める。

③ 棺に蓋をして、小壺を供え、土を戻す。
その上に墓標(標石)を置いたり、盛土を施したりする場合もある。

おそれ敬う気持ち

「始めて死するや停喪すること十余日、時に当たりて肉を食わず、
喪主は哭泣し他人は就きて歌舞し飲酒す」

1号木棺墓と副葬子壺
1号木棺墓と副葬子壺

中国の歴史書、『魏志倭人伝』の中には、弥生時代おわりごろの葬儀の様子が描かれています。これより時代はさかのぼりますが、特定集団墓の被葬者に対しても、死をいたみ、別れを惜しむ何らかの行為(後の時代では、殯(もがり)と呼ばれます)がおこなわれたことは確かでしょう。特定集団墓の送り手達は、棺のそばに壺を供え、貴重品であった青銅器や装身具を遺体に添えて、死者たちを弔っています。

ところで、特定集団墓中の甕棺墓には、内部から朱(硫化水銀)が確認されたもの(109・110・111・117号)がありますが、これは顔面など遺体の頭部付近に塗布されたものと考えられています。血液と等しい「赤」には、呪的な力がそなわっていると考えられており、施朱の風習は世界中で認められます。特定集団墓においても、遺体に朱を施すことによって、死者の蘇生もしくは鎮魂を求めたのでしょう。

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