寺塚穴観音古墳
紹介文
穴観音は曹洞宗補陀山興宗寺(こうそうじ)の境内、北側丘陵に築かれた円墳である。墳丘の推定直径は約20m。主体部は南向きに開口する複室構造の横穴式石室で、古墳時代後期(6世紀)のものである。石室には巨岩を用い、福岡市内屈指の巨石墳である。石室奥壁の正面には阿弥陀、その左右には観音、勢至両菩薩が浮彫りにしてあり、作者・製作時期は不明であるが、その形態から一般に穴観音と呼ばれて信仰されてきた。民家を離れ、閑寂の地であったため、参詣人が多く、また地形上の利点を生かして明治10年3月19日、この穴の中で西南戦争への加担が旧藩士武部小四郎等によって謀議された。
寺塚一帯には多くの古墳があったが、福岡城築城に際して石垣石材に石室の石が抜かれ、壊滅したと伝えられている。
また、石室奥は福岡城まで続く抜け穴であったとも言い伝えられてきた。
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