愛宕神社
紹介文
室見川河口西側の丘陵上にある。古くは鷲尾神社といい、景行天皇の代に、天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)、伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)の2神を祭ったという。寛永11年(1634)黒田忠之が京都愛宕神社から火産霊神(ほむすびのかみ、かぐつちのかみ)、伊邪那美尊(いざなみのみこと)の2神を勧請し、愛宕神社を作った。明治34年(1901)両社が合併し、現在鷲尾愛宕神社として4神が祭られている。開運・長寿・商売繁盛・鎮火、また禁酒・禁煙などにも霊験があるとされ、「愛宕さん参り」の習俗が今も続く。神社のある丘陵一帯は筑前探題跡と伝えられているが、筑前探題という職制はなく、室町幕府が任命した九州探題に由来する巷伝であろう。付近には探題塚が残るが、これは1534年ころに最後の探題渋川尭顕が討死し葬ったことに因むという。ただし、渋川尭顕の名は史料には見えず、その存在は明らかではない。
また、愛宕神社の東南の山麓中腹から窪地にかけて、瓦経が見つかっている。一般的に経文は瓦経の表裏面に書かれるが、愛宕山出土分はすべて片面写経である。
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