金隈遺跡
紹介文
2024年11月18日~2025年3月上旬まで臨時休館
館内の電気工事に伴い、金隈遺跡甕棺展示館を下記日程で臨時休館いたします。
なお、弥生の森、駐車場は利用可能です。
再開館の日程については、「福岡市の文化財」WEBサイトおよびSNSでお知らせいたします。
ご迷惑をおかけいたしますが、どうぞご了承ください。
< 金隈遺跡甕棺展示館 >
甕棺墓91基、土壙墓34基、人骨4体を発掘した状態で見たり、出土した甕棺を触ったりできます。
また、墓から出土した副葬品の展示から、当時の墓制について知ることができます。
開館時間 9時~17時(入館は16時半まで)
休館日 月曜日(祝休日のときは翌平日)、年末年始(12月29日~1月3日)
館内の露出展示の様子をYouTubeで紹介しています。(3次元計測・株式会社テクノブレイン作成)
https://www.youtube.com/watch?v=v5Qfp9Qyq68&feature=youtu.be
< 遺跡について >
金隈遺跡は、福岡平野の東を御笠川に沿って南北にのびる月隈丘陵のほぼ中央にある。
弥生時代の共同墓地の遺跡で、弥生時代前期の中頃(紀元前2世紀)から後期の前半(2世紀)までの約400年間にわたって営まれた。
この遺跡からは、348基の甕棺墓と119基の土壙墓、2基の石棺墓が発掘されている。最初に土壙墓が作られ、その後に甕棺墓、最後に石棺墓が作られたものと考えられる。
甕棺墓からは、136体の人骨が出土した。平均身長は、男性が162.7cm、女性が151.3cmで、縄文人と比較すると、顔も面長になり、身長も急に高くなっている。このことから、朝鮮半島との交流による混血が行なわれていたのではないかと考えられる。墓中の副葬品には、種子島からオーストラリアまでの海中にしか生息しないゴホウラ貝で作った腕輪や、石剣、石鏃、首飾り用の玉などが見つかり、中国大陸や南方文化との交流を物語っている。
福岡市教育委員会が行なった、これらの発掘調査の結果から、遺跡は、弥生時代墓制の典型的な遺跡として、昭和47年に国指定の史跡として保存されることとなった。
昭和60年3月には、遺跡を保存、展示するため、発掘調査現場に屋根をかけるような形で展示館が建てられ、甕棺や人骨が発見されたままの状態で見学することができる。
地図
近隣の文化財
- カテゴリーの紹介
- 建造物
- 絵画
- 彫刻
- 工芸品
- 書跡・典籍・古文書
- 考古資料
- 歴史資料
- 無形文化財
- 無形民俗文化財
- 有形民俗文化財
- 史跡
- 名勝
- 天然記念物
- 文化的景観
- 伝統的建造物群保存地区
- 選定保存技術
- 埋蔵文化財
- その他