宝満尾遺跡
紹介文
学校を建設する前の文化財の調査によって弥生時代中期後半から後期中頃(紀元前1世紀~紀元後1世紀)の甕棺(かめかん)墓群や土壙(どこう)墓群、石棺(せっかん)墓からなる墳墓(ふんぼ)群のほか、弥生時代前期前半(紀元前5~3世紀ころ?)の袋状(ふくろじょう)の竪穴(貯蔵穴(ちょぞうけつ))、古墳時代後期(6世紀)ころの直径20m前後の古墳とその下部にあった石蓋土壙(いしぶたどこう)墓(古墳時代中期、5世紀)などが確認されている。
弥生時代の土壙墓群の中の第4号土壙墓からは、内行花文明光鏡(ないこうかもんめいこうきょう)という形式の銅鏡が出土している。鏡の直径は約10.6㎝、文様がある鏡の背面には16の文字が鋳出されている。これと類似した鏡は、九州では福岡県の筑前町や佐賀県などから出土しており、紀元前1世紀末から紀元後1世紀初めころの中国(「前漢」末期から「新」の時代)で作られたものと考えられている。
この他に、小刀のような素環頭刀子(そかんとうとうす)や鉄斧(てっぷ)、ガラスの小玉540個などを副葬したものがある。土壙墓群の周囲からは弥生時代後期初めから後期中頃(紀元後1世紀)の土器が出土しており、墳墓群の時期を推定できる。
このすぐ近くには、銅鐸(どうたく)の鋳型(いがた)を出土した赤穂ノ浦(あかほのうら)遺跡(席田大谷(むしろだおおたに)遺跡の一部)や、弥生時代中期末ころの大型建物が確認された久保園(くぼぞぞの)遺跡などがあり、弥生時代の拠点的な大型集落が広がっていたことが確認されている。
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