発掘最前線

聖徳太子(しょうとくたいし)の時代の集落跡を発見! ~熊本遺跡第3次調査の成果から~

【2013年11月05日】

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福岡市の南に位置する油山山塊の西域を占める荒平山(394.5m)の山裾は,風雨などにより花崗岩風化土(マサ土)が堆積してなだらかな地形を呈し,古墳をはじめとする多くの遺跡が残っていることで知られています。

今回の調査は早良区東入部の北方向へ緩やかに傾斜する標高32mの畑地で行い,縄文時代後期~晩期の穴,古墳時代後期の竪穴住居跡(たてあなじゅうきょあと),奈良時代の穴のほかに土師器(はじき),須恵器(すえき)などの焼物や黒曜石でつくられた鏃(やじり)なども発見されました。

竪穴住居は,地面を一辺が4m~5.5mの方形に掘り下げて建物の床面とし,そこに4本の柱を立てて屋根を架けています。このため,穴の壁が建物の壁に相当する部分になります。(写真①)建物北壁の中央には,煮炊きをするためのカマド(古代のレンジ台)が設けられています。カマドは粘土をドーム状に積み上げ,上部には煮炊きする土器を据え付ける穴,住居側には薪を燃やす焚口の穴を設けています。焚口の両側には花崗岩の石を立て,カマドが壊れにくくする工夫も行っていました。また,カマドの中央部に据えた小ぶりの花崗岩は,カマドにセットした甕(かめ)の底が床面に接しないように五徳(ごとく)の役割を果たしています。これは,甕を下から支えることにより炎が甕全体によく当たるようにした生活の知恵と言えましょう。(写真②)カマドの煙は,カマドの北側から北東方向に3mほど掘った小規模なトンネルを通って外へ出ていきます。これは家のすぐ近くに煙出しの出口を作ると,屋根に燃え移る危険性があったからです。

竪穴住居跡からは,蒸し器の甑(こしき)と下から湯をわかして蒸気を生み出すための甕がほぼ完全な形で出土しました。甑の底は蒸気が通りやすくするために穴が開いており,米などをざるに入れて蒸したものと考えられます。(写真③)

今回の調査や試掘調査などから,調査地周辺では10棟前後の竪穴住居や高床倉庫などからなる集落が営まれていたと考えられます。時代は,出土した土器の年代から6世紀後半のものと考えられます。(写真③④)この時代は聖徳太子(574年622年)が活躍していた頃と重なります。

また,今回の調査では,縄文時代後期~晩期の穴から黒曜石製の鏃(やじり)と石を加工する際にできる削りかす(剥片(はくへん))が数多く出土しています(写真⑤)。

写真① 古墳時代後期の竪穴住居跡

写真② 古墳時代後期のカマド

写真③-1 竪穴住居跡から出土した甑(上から)

写真③-2 竪穴住居跡から出土した甑と甕(横から)

写真④ 竪穴住居跡から出土した須恵器

写真⑤ 黒曜石製の鏃と剥片