古墳時代の須恵器(すえき)を焼いた窯(かま)の発見 ~中島窯跡の調査成果より~ 【2014年01月09日】
【2014年01月09日】
南区柏原(かしはら)に所在する中島窯跡(なかしまかまあと)は、片縄山から北へ伸びた丘陵の先端部に位置します。窯跡は標高約38.5mの丘陵の東斜面に営まれていますが、現状では段状に造成され、地形が改変されています。
今回の調査は、現状で遺跡を保存することを目的としているため、窯の広がる範囲と残り具合を確認するための最小限の作業にとどめることとし、主に遺構の検出を行いました。
検出した主な遺構は、今から約1,500年前の古墳時代の須恵器(すえき)を焼いた窯跡3基です。この窯は丘陵の斜面をトンネル状に掘った窖窯(あながま)とよばれる構造で、後世の造成により天井は失われていましたが、下半部はよく残っていました。また、窯跡の下方には須恵器を焼いた後に窯の内部からかき出した炭や焼き損じた須恵器の破片を廃棄する灰原(はいばら)と呼ばれる堆積層を確認することができ、残り具合の良い窯跡群であることが判明しました。
1号窯跡は窯の最大幅が2.5mもあり、3基のうち最も大きな規模であることがわかりました。また、3号窯跡は窯の火入れを行う焚口(たきぐち)の前面を掘り込む構造をもち、全体的に最も残りがよいものでしたが、西側部分は公園内に延長するようです。なお、2号窯跡は削平により一部を検出するにとどまりました。
また、これらの窯跡の他にも、平安時代終わり頃の建物や溝などの集落の跡も検出しました。この頃の造成により須恵器窯の一部が破壊されたものと推測されます。
以上のとおり、複数の窯跡がよく残っていることがわかり、多くの成果をあげることができました。なお、これらは大変貴重であることから、長く保存を図るため、窯内に土のうを詰めて埋め戻しました。