発掘最前線

比恵遺跡群第125次調査の現地説明会を行ないました

【2012年04月23日】

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平成24年4月21日(土曜日)、福岡市埋蔵文化財調査課は博多区博多駅南の比恵遺跡群(ヒエイセキグン)125次調査で、現地説明会を実施しました。

 比恵遺跡群とは
 比恵遺跡群は、福岡平野内の那珂川と御笠川に挟まれた低丘陵の上に立地しており、福岡平野にあったと考えられている「奴国」のなかでも最も海に近い位置にあります。これまでの125次に及ぶ調査で、この遺跡は弥生時代から古代にかけての有力な大集落であったことが分かってきています。

 調査の概要
 福岡市埋蔵文化財調査課は、平成24年1月中旬より、博多区博多駅南において、開発事業に伴う記録保存を目的とした調査(比恵遺跡群第125次調査)を行ってきました。調査の結果、弥生時代から古墳時代の竪穴住居や掘立柱建物、井戸などの遺構を多数発見することができました。今回確認した主な遺構は弥生時代前期の貯蔵穴、中期の竪穴住居、後期の井戸、古墳時代前期の竪穴住居などがあります。また、古墳時代後期から古代の掘立柱建物(倉庫)とそれを囲む柵も確認しました。掘立柱建物と柵は、本調査地点の東隣に位置する国史跡「比恵遺跡」(※1)で発見された建物群に関連する可能性があります。今回、掘立柱建物と柵を確認した範囲は事業者様のご理解とご協力により、埋め戻した上で保存されることとなりました。
 この他、井戸から小銅鐸(※2)が出土しました。福岡市内では5遺跡7例目の発見です。

※1 国史跡「比恵遺跡」とは?
 福岡市が1984年・2000年に行った発掘調査によって、合計10棟の掘立柱建物の倉庫群と、これを囲む柵が発見され、2001年に国史跡「比恵遺跡」に指定されました。これらの遺構は、『日本書紀』に記述のある「那津官家(ナノツノミヤケ)」に関わる施設と推定されています。「那津官家」は、日本書紀の記載によれば、西暦536年に博多湾岸につくらせた食料を備蓄するために造らせた施設とされており、後の大宰府の前身という説もあります。

※2 小銅鐸とは?
 日本で出土する銅鐸形の小型青銅製品の多くは、朝鮮半島で製作・使用されていた朝鮮式小銅鐸を模倣して、日本で作られたものと考えられています。有力な集落から出土することが多く、祭祀に用いられていたと推測されています。

倉庫(左側)とそれを取り囲む柵(右側)

弥生時代の井戸

出土した小銅鐸