柑子岳城跡
紹介文
博多湾を望む標高254mの柑子岳に築かれた戦国時代の山城。築城時期は明らかではないが、天文元年(1532)柑子岳の城を大内氏が乗っ取り、城普請を行ったという。同7年大友氏がこれを攻めて、志摩郡一帯を領地にした。以後、柑子岳城は志摩郡における大友氏の拠点となる。永禄年間(1558~1570)には大友宗麟が改築し、一族の臼杵新助親連を配して城を守らせた。永禄年間以後は高祖山城主原田氏との合戦が続いた。元亀2年(1571)新助は豊後に帰任し、臼杵進士兵衛鎮氏が着任した。鎮氏は元亀3年(1572)原田氏との池田川原合戦に破れて自刃、臼杵鑑続が城代となる。その後、天正7年(1579年)生松原合戦で大友方が敗れると木付鑑実は立花山城(福岡市東区)に退き、柑子岳城は廃されたものとみられる。
城跡は、柑子岳山頂から南北に伸びる尾根上を利用した3つの曲輪群からなる。本丸は東西15m、南北200m、二の丸は東西40m、南北80mの広さをもつ。筑前西部地域では稀な畝状竪堀群がみられる。
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