曲渕城跡
紹介文
曲淵は戦国時代から見える地名である。背振山東門寺の寺領で、後に大内氏に支配された。「筑前国続風土記」によれば戦国末期の元亀・天正(1570~1592)の頃、曲淵河内守氏(房)助・信助父子の居城があり、高祖の原田氏に属していたという。曲淵小学校東側の城山と呼ばれる一帯がそれにあたる。現在主郭部には山神社が鎮座し、南側尾根には、大規模な掘り切りが見られる。なお、山神社は曲渕ダムの建設によってダム湖に水没することになったため、城山に移されたもの。
城山東側の国道沿いに薬師堂があるが、ここは曲渕氏の菩提寺である医王山長福寺跡とされ、裏手に城主の墓と伝える石塔が立っている。
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