古墳時代はじめの「奴国」の道路跡を発見! ~比恵(ひえ)遺跡群第140次調査成果より~ 【2016年03月30日】
【2016年03月30日】
比恵遺跡群は、JR博多駅の南東側(博多区博多駅南3丁目から6丁目付近)の約70㌶にも広がる市内でも有数の巨大遺跡です。この遺跡群からは、旧石器時代(約2万年前)から戦国時代(約500年前)にいたるまでの生活の痕跡が重なって発見されています。なかでも弥生時代から古墳時代の約2100年前から約1700年前にかけては、国内でも有数の密集度で、人口の高い集中がうかがわれます。また、この周辺は『魏志倭人伝』に記録された「奴国」に含まれています。(詳しくは本文下の「なのくに歴史散歩」のリンク参照)
今回、遺跡群の中央西側で、平成27年10月から翌年1月まで発掘調査を実施しました。地表から40~90㎝の深さで弥生時代中ごろ(約2200年前)から古墳時代はじめ(約1800年前)の竪穴住居や井戸、溝などが多数見つかりました(写真1)。
そのなかでも弥生時代中ごろの生活の跡が最も多く、3m四方の竪穴住居や井戸から成る集落が広がっていたことがわかりました。
また、古墳時代はじめの幅約1.5m、深さ約1mの溝は、比恵・那珂(なか)遺跡群を南北約2㌔にわたってつらぬく幅8m程の道路の東側側溝の一部にあたり、当時の「奴国」の中心地で行われた大規模な土木工事の一端を示す貴重な発見です。この道路は、直線的で規模が大きく、「奴国」の大規模な集落内での重要な要素であったことが想像できます。その溝からは多くの土器が出土しました(写真2)。
その他、同時期の井戸にはまとめて土器が捨てられており(写真3)、畿内の影響を受けた甕(かめ)の内部からは非常に珍しい径1㎜弱、長さ10㎝弱の鉄線(針金)が出土し(写真4)、事例などの調査を進めております。