文化財を見に行こう

2.なのくに歴史散歩

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那珂川と御笠川流域の博多駅南から春日市に至る丘陵上には、比恵遺跡や板付遺跡をはじめ弥生時代の遺跡が数多くあり、『魏志倭人伝』に記された 「奴国」の領域とされています。
この周遊コースは、JR博多駅を起点としたやや広域的なコースです。弥生時代の遺跡や、古墳、中世の板碑などを巡りながら、埋蔵文化財センターなど文化財施設にもぜひ立ち寄ってみてください。

 

また、JR竹下駅周辺の春住・那珂地域の歴史文化遺産ガイドマップも作成しています。詳しくは、下記URLをご覧ください。

https://bunkazai.city.fukuoka.lg.jp/news/detail/398

[1] 比恵遺跡群
 博多駅南に広がる低丘陵(標高5~7m)上にある弥生時代から室町時代いたる複合遺跡である。遺跡面積約70ヘクタール。  この遺跡に人々が定着したのは、米作りが始まった弥生時代前期で、以後集落や甕棺墓地、墳丘墓が営まれ、後期には環溝集落も出現した。墳丘墓の甕棺墓には銅剣が副葬されており、また青銅製品(銅剣・銅矛)やガラス製品の生産を物語る鋳型や取瓶な...
[2] 那珂八幡古墳
 古墳時代初期に築かれた墳長75m以上、高さ8mの規模を持つ前方後円墳である。  墳丘は地山整形と盛土でなり、その周囲には鍵穴形に周溝がめぐる。葺石、埴輪はない。内部主体は後円部の中央に2基あり、第1主体は未調査、第2主体は長さ2.3mの割竹形木棺の直葬で、三角縁神獣鏡と玉類が出土した。  福岡平野の首長墓の系譜では最古に属する。
[3] 那珂遺跡
 稲作が始まった縄文時代晩期末の二重環濠集落跡。  集落を囲む環濠は5m間隔で平行して走り、その平面形は長径160m、短径140mの円形になるものと考えられる。外側の濠は断面V字形で、幅5m、深さ1.8m、内側の濠は断面逆台形で、幅2m、深さ1m。濠内から夜臼式土器や石器が出土した。  弥生時代初頭の環濠集落として板付遺跡、有田遺跡があるが、この遺跡はそれ...
[4] 板付遺跡
< 板付遺跡弥生館 休館のお知らせ >   設備工事のため、下記の期間休館いたします。 休館期間:令和6年9月1日(日)~令和7年4月中旬(予定) 再開館の日程については、改めてお知らせします。 なお、上記期間についても、復元環濠や屋外トイレは見学・利用可能です。     < 板付遺跡弥生館 >   竪穴住居をイメ...
[5] 諸岡遺跡
 筑紫通りに面した標高23mの丘陵とその周辺に営まれた先土器時代、縄文時代晩期、弥生時代前期末~中期、中世後半の複合遺跡。  昭和47年からの発掘調査で、朝鮮系無文土器が出土する小竪穴や、貝輪や細形銅剣を副葬する甕棺墓など弥生時代の遺構・遺物が検出された。丘陵上には5基の円墳があり、八幡宮裏にその1基が現在も残る。また中世には地下式横穴墓が営まれ...
[6] 福岡市埋蔵文化財センター
 埋蔵文化財センターは市内遺跡の発掘調査によって得られた出土遺物や記録類などを整理・収蔵保管し、保存処理や調査研究を行う施設として昭和57年に開館した。収蔵資料は一般公開され、いろいろな分野の人たちによって利用されている。  展示室には遺跡の発見や発掘方法、研究方法など埋蔵文化財に関する仕事の流れを、多くの遺物を用いてわかりやすく展示する。また定期...
[7] 嘉暦三年銘自然石梵字板碑
 日吉神社(ひよしじんじゃ)社殿後方の西北隅に、2基の板碑が並んで建っている。右側の1基は高さ118cm。花崗岩自然石の頭部を山形に加工し、正面上部の径53cmの円相に金剛界大日如来の梵字を薬研彫りする。下部には嘉暦3年(1328)の造立年などを刻む。 銘文は    嘉暦三    年八月八日    沙門青蓮    覚霊□  もう1基は高さ63.5cmの玄武岩製。...
[8] 金隈遺跡
2024年11月18日~2025年3月上旬まで臨時休館 館内の電気工事に伴い、金隈遺跡甕棺展示館を下記日程で臨時休館いたします。 なお、弥生の森、駐車場は利用可能です。 再開館の日程については、「福岡市の文化財」WEBサイトおよびSNSでお知らせいたします。 ご迷惑をおかけいたしますが、どうぞご了承ください。   < 金隈遺跡甕棺展示館 >   甕...
[9] 今里不動古墳
 福岡平野東南部の月隈丘陵から延びる小高い丘陵上に築かれた直径34m、高さ9mの円墳。  内部主体は複室の横穴式石室で、全長11.2m。大きな花崗岩を組み合わせて造った石室は、福岡平野で最大級の規模をもつ。  出土遺物は不明だが、墳丘・石室の規模から御笠川中流域の有力豪族を被葬者とし、6世紀末~7世紀初頭に築造された古墳と考えられる。大正時代までは2基...