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鴻臚館広場グランドオープン!

【2016年03月25日】

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今年の福岡城さくらまつりにあわせて、鴻臚館広場が全面公開されました。

広場南側については平成22年度(2010年度)から一般公開していました。今回、北側1万3千㎡について芝張りし、カラー舗装による遺構表示を行っています。この整備により鴻臚館の大きさを、より体感することができるようになりました。

現在、「国史跡鴻臚館跡整備基本計画」を策定中であり、この計画に基づいた本格復元整備を行うまでの間、市民の皆様に広く活用していただくための暫定的な整備です。

 鴻臚館とは

鴻臚館(筑紫館)は古代(飛鳥・奈良・平安時代)の迎賓館に相当し、日本の3カ所に設けられましたが、遺跡の存在が確認されたのは、この筑紫の鴻臚館のみです。

 

福岡市では、平成11年(1999年)から平和台野球場跡地で鴻臚館跡の発掘調査を続けており、これまでに鴻臚館が周囲より4mほど高い台地の上に造られていたこと、中央の堀をはさんで南北に二つの建物があり、何度か建て替えられていたこと、南北を行き来するための橋が架けられていたことなどを確認しました。

 

 

 鴻臚館広場について

鴻臚館広場では奈良時代前半頃の南北二つの建物を囲む塀、トイレ、堀、橋などを、それぞれの場所に地表表示しており、実際の遺構はその地下に保存されています。

 

今回のオープンにあたり、新たに北館の塀全周をカラー舗装で表現しました。大きさは東西75m×南北55mで、標準的なサッカーフィールドの半分強の広さです。

 

また、鴻臚館広場を東西に横切る土の園路は、鴻臚館北館が立っていた台地の崖を表現しています。写真は鴻臚館広場と鴻臚館復元CGとの比較写真です。

当時は、このように周囲を塀にめぐらせた北館が崖際に立ち、眼下には砂浜が広がっていました。

<上:北館全体写真 下:鴻臚館復元CG>

 

カラー舗装の長方形部分が北館の門だったところです。

 

ここには柱の位置を示す8つの○と、○を結ぶ線が表現されています。

復元CGとの合成アニメーションです。クリックすると動きます。

 

このように○は東門を支える柱を、○を結ぶ線は壁を示しています。

中央部分が扉になっていて、ここから鴻臚館北館の内部に出入りしていました。

 

東門から北側をみると今はビルやタワーマンションが立ち並んでいますが、かつては園路から北側は砂浜となり、そして海がはるかに広がっていたはずです。

 

かつて海外との交流の場であった、当時の鴻臚館の姿をぜひ現地で想像してみてください。

 

また、広場南側の鴻臚館跡展示館にもぜひ足をお運びください。展示館では発掘された遺構や遺物のほか、今回紹介した鴻臚館復元CGの動画もご覧いただけます。

 

広場と展示館を併せてご覧いただくと、鴻臚館についてさらに理解が深まることまちがいなしです。