福岡城の復元整備について 【2018年06月04日】
【2018年06月04日】
潮見櫓とは
潮見櫓は福岡城三の丸北西隅に位置する2階建て櫓です。築城当初,城の西側は海の入り江であり,櫓の名前の由来は海に面していたことによるようです。江戸時代の各城絵図にその姿が描かれています。
近代以後の潮見櫓
明治維新以後,福岡城は陸軍が駐屯し陸軍の管理下に置かれます。
明治40・41年,黒田家の菩提寺である崇福寺から陸軍へ「潮見櫓・花見櫓」の払下げが申請され,認可されます。明治42年に崇福寺に移築され,この時潮見櫓を仏殿として用いました。
潮見櫓はその後の福岡大空襲の被災も免れ,福岡城の遺風を伝える遺構として親しまれ,昭和30年には県指定文化財となります。
また,経緯は不明ですが,この時には崇福寺仏殿=月見櫓と伝わっていました。
福岡市は潮見櫓の城内への移築復元を目的として,崇福寺より仏殿を買い上げました。仏殿解体時に潮見櫓を移築したことを記す棟札が内部より見つかりました。これにより崇福寺仏殿=潮見櫓であると確認されました。
また,福岡城跡の整備を着実に具体化していくため,福岡市は平成26年度に「国史跡福岡城跡整備基本計画」を策定しました。計画にかかわった専門家からは潮見櫓は復元可能性が高い歴史的建造物と判定され,本格的な復元に着手することになりました。
平成27年度には潮見櫓の梁や柱等の部材がいつの時代で,どのように組み合っていたのかを検討する部材調査を実施しました。
今年度は潮見櫓が建っていた櫓台石垣を確認するための発掘調査を実施する予定です。これらの成果を元に移築前の江戸時代幕末ごろの潮見櫓の姿について検討を進めております。
潮見櫓復元整備については今後進展次第報告してまいりますのでぜひご期待ください。
(経済観光文化局文化財活用部史跡整備活用課)
【参考】
潮見櫓 棟札 釈読
當山者慶長九年大檀越黒田長政□建立之大迦藍而山門佛殿方丈鐘楼宏傑詭麗極其荘厳」及明治初年新制出堂宇門楼為帰廃毀今茲明治四十一年得信徒之浄財購舊福岡城塩見櫓再建之於佛殿之古址安置」以本尊釋迦佛文殊普賢両菩薩土堂護法天神祖師堂初祖大師百丈臨済之三祖伏望無上正遍之功」徳幸賜冥福令天下泰平国家安康是□祈願也」
明治四十二龍集十二月如意日(福岡市教育委員会1994『福岡城の櫓』より)