飯盛神社のかゆ占
紹介文
飯盛神社はもと早良郡の惣社といわれ、近世に入ってからも周辺七ヵ村の農耕守護神として崇められて来た。ここの粥占は、小正月の朝神前に粥を供えて、半月後にそれを下ろし、表面に生えたかびの状態によって、その年の農作の吉凶を占うもので、粥開きの朝はその結果を見ようと、近隣の農家からの参詣者が多い。
現在は陽暦に移行して2月14日の昼に、神社で「穂垂れ菜御供」の祭典がある。稔り豊かに稲の穂の垂れるのを祈願する行事で、大根・人参・牛蒡の皮むきと、鯛・高盛飯を神前に供え、祭典が終わると神職が粥元の大内家に神饌を届け、粥炊きの依頼をする。粥元はむかしから大内姓2軒・青柳姓2軒が世襲で勤め、粥米は青柳本家から供進される。粥炊きは14日夜から15日(もとは旧1月15日の小正月)早朝にかけて行なわれる。14日夕刻に入浴で身体を潔めた粥元4名とその長子が神社に参集、装束をつける。粥元は白直垂に風折烏帽子をかぶり中啓を持つ。粥元の子息は白衣のみ。午後8時、神殿で粥嘗祭が行なわれる。神前に神酒、米、小豆、塩を入れ栗はい箸を添えたサカエ重、大根、ヒラキ豆に花かつおをまぶしたヌタエ、鮑の盃が供えられ神事を執行、撤饌のあと、神職と粥元の間でヌタエを取肴に鮑の盃で神酒が酌み交わされる。祭典が終わると、午後9時すぎ一同粥調仕所に移り、大釜にサカエ重の米二升・小豆1合・塩少量を移し、手桶3杯の水を入れる。神職が神殿より淨火を持参、竈祓いをして小枝に点火、神殿に戻って炊き始めの太鼓を打つ。粥元は2名ずつ交替で火の調節(弱火)と粥まぜをする。粥まぜは大杓子で間断なく行ない、餅状になるまでまぜ、15日午前1時過ぎに太鼓の合図で炊き上げとなる。大釜に蓋をして粥元等は一旦帰宅、午前6時に再び参集して粥盛りをする。神事のあと、粥を釜から手桶に移し、拝殿で三つの金鉢に盛り分け、早田、中田、晩田と墨書をした箱に収めて、神職と粥元二人が神殿の奥に供え、粥供えの神事を終わる。
粥開きはそれから半月後の3月1日(もとは旧2月1日)の早朝、午前6時から行なわれる。神殿で粥開きの神事が行なわれたあと、神前に供えられていた粥鉢が下ろされ、粥別に、かびの長さや色合いで、毛付・みのり・水・風、虫の状態を、粥元が合議のうえ決定する。判定はその場で紙に書かれ、拝殿の前に掲示され、参詣者のその年の粥占の結果を知らせる。
小正月の古い習俗をよく残した神事である。
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