蒙古碇石
紹介文
博多湾を中心として発見される特殊な考古資料に、「蒙古碇石」がある。全長が2~3mの角柱状の石で、中央部が最も広く、両端がややせまくなっている。表面に粗い加工痕があり、稜線を面取りしたものもある。中央部に広狭2つの枠帯・溝が掘り込まれ、碇として固定するための工夫がみられる。現在のところ佐賀県呼子町可部島の全長320cmが最も大きい。重量は190~584kgと幅がある石材は凝灰岩質砂岩ないし花崗岩が大半を占めるが、玄武岩製もある。
これらの碇石の年代を特定する資料はないが、供養塔に転用され、延文3年(1358)や正安4年(1302)の年号が彫り刻まれているものがある。この事例から14世紀には他へ転用されていたことが想定され、二度にわたる蒙古襲来(1274年と1281年)時に、元の軍船に使用されていた可能性は高いが、平安時代以来頻繁に来航した宋の商船に装着されていた可能性も少なくない。
本品は出土地は不明であるが、善導寺境内に板碑として屹立している。花崗岩の完形品で、台上高246.0cm、幅30.0cm、厚28.0cmをはかる。一方の面に地蔵菩薩の立像と銘文を刻む。
銘文は
右志趣者為
父母二親殊
施主妙阿成仏
奉造立所也
延文三七月八日
銘文は磨耗が激しく、拓本でも判読が難しい。紀年の「延文」については、拓本では「延徳」の字形を示しているように看取される。延文三年とすれば、北朝年号で1358年、延徳三年であれば1491年となる。
いずれにしても、宋や元など中国船の来航で栄えた博多ならではの遺品といえる。
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