住吉神社の力石                                             
                                    
                
            
            
            
            
                            
                 
                                    紹介文
 力石とは力だめしをする石のことだが、その由来は神霊の依坐である石を持ち上げることで豊凶・天候・武運等の神意を伺う石占の信仰に遡ると言われている。又、米一俵分の重さを担ぎ上げる力が成人の資格と考えられ、それを証すために用いられた力石もあった。しかし、やがて本来の意味を失い、若者の力自慢の道具と見られるようになっていった。
 住吉神社の力石は、境内の左側に台の上にのせて置かれている。また境内右手には「奉獻 力石 掛目三拾六貫目」の銘がある力石が、石燈籠の基礎か中台を転用した基台に載せて置かれている。
法量・石質等
  銘文(正面陰刻銘)
   「奉獻
      江戸
     稲毛平次郎
     同  春吉
    加奈川權次郎
     竹澤庄吉
    力石」
  石質  玄武岩
  法量  37.5×82.0×37.0cm
  基台(石質・玄武岩、法量65.0×100.5×24.5cm)
  基台銘文
  (背面右から)
   「世 綿善 米萬 北与 魚長」
  (正面内側右から)
   「話 郎 郎 吉 □ 人」
  (正面外側右から)
   「不□ 沖文 沖忠 不木 八百茂 石嘉 □儀 □久 八百松 
                    □夘 曽根次 石市 石仁
    鰯權 生吉 奈良嘉 石工嘉吉 筆宗興」
附 1個 石質・花崗岩、法量36.5×60.5×37.0cm
  銘文「奉獻 力石 掛目三拾六貫目」
 本力石は、銘文によれば加奈川(神奈川)権次郎、稲毛平次郎らの力持ちが持ち上げたものである。加奈川(神奈川)権次郎(文政11~大正4年)は川向村(神奈川県横浜市都筑区川向町)出身、櫛田神社(福岡市博多区上川端町)その他広島県福山市・尾道市など瀬戸内海沿岸にその名を留める力持である。また、稲毛平次郎(明治14年没)は、南加瀬村(神奈川県川崎市幸区南加瀬)出身の力持であり、櫛田神社の力石にもその名が見られる。
 彼ら力持ちは一座を組んで、全国各地を興行して廻ったものと考えられる。
 また、この力石の特徴は、基台の石に刻まれた二十数名の世話人にある。沖文・沖忠、魚長・鰯權、綿善・米萬、八百茂・八百松、石嘉・石市・石仁等の名は通称或いは屋号であると考えられるが、港町の賑わいを示すものといえる。
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