板付遺跡

紹介文
< 板付遺跡弥生館 >
竪穴住居をイメージした板付遺跡弥生館では、板付遺跡のムラの人々がどのような生活をしていたのか、出土遺物の展示や映像、ジオラマを見たり、復元した道具を触って確かめることができます。
また、遺跡公園では、環濠集落や水田など、復元整備された弥生時代最古の農村を見学することができます。
開館時間 9:00~17:00(入館は16:30)
休館日 年末年始(12月29日~1月3日)
入館料 無料
TEL 092-592-4936
< 遺跡について >
福岡平野の中央よりやや東寄りに位置する。御笠川と諸岡川に狭まれた標高12mの低い台地を中心として、その東西の沖積地を含めた広大な遺跡である。遺跡は弥生時代が主であるが、それに先立つ旧石器、縄文時代や後続する古墳~中世の遺跡もある複合遺跡である。
台地上には幅2~4m、深さ約2~3m、断面Ⅴ字形の溝を東西約80m、南北約110mの楕円形にめぐらした環溝がある。環溝の内外には米やその他の食料を貯蔵するための竪穴(貯蔵穴)が多数掘り込まれている。
台地の東西の低位段丘上には旧諸岡川から用排水路が引き込まれ、水路には井堰が設置されており、水をコントロールできるようにしている。また、土盛り畦畔で囲まれた水田には水口(水尻)を設けており、整備された水田が開かれ、稲作と共に高度な土木技術がもたらされたことを証明しているとともに日本で最も早く稲作農耕が開始された。
弥生時代前期末には北部九州でも有数の集落に発展している。大正五年に環溝の東南に位置する田端地区から甕棺墓数基が発見され、中から細形銅剣、細形銅矛各3本が出土している。これらの甕棺墓には大きな墳丘があったとみられ、有力者が台頭したことを示している。このころは環溝周辺だけでなく、北方の現板付北小学校や南側の台地にも集落が広がり、貯蔵穴群や墓地が発見されている。
このように、板付遺跡は日本における稲作農耕の開始について重要な問題を提起するとともに、弥生時代の人々の生活や社会を解明するのに、集落、墓地、生産地(水田)が一体となって把握できる数少ない遺跡である。
出土遺物は莫大な量にのぼり、土器、石器、本器をはじめとして、当時の自然環境を知ることのできる自然遺物が検出されている重要な遺跡である。
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