木造二天王立像                                             
                                    
                
            
            
            
            
                            
                 
                                    紹介文
東長寺は大同元年(806)、唐から帰国した弘法大師空海が建立したと伝えられる密教寺院である。山号は南岳山。草創の地は博多海辺の地であった行町(現呉服町付近)であり、南北朝の動乱で志摩郡志登村に一時移った後、旧地に再建されたといわれる。天正年間には大師堂と通称されて博多の寺院のなかに一地歩を占めていた。現在地に移転した時期は明らかではないが、福岡藩二代藩主・忠之が大檀越になってから寺域の基礎が固まったものと推測される。
持国天像は、背面に獣皮をまとい、左右体側の甲の下縁に入りを作るなど、平安時代後期以降に流布する和様甲制に基づく神将形像である。穏やかな忿怒の表情、膨らみのある体躯、ゆるやかに腰を捻る姿勢等の表現も当時の好尚をよく示す。
表情や体躯表現、姿勢などから平安時代後期12世紀の制作と考えられる。鎧の文様を彩色でなく彫刻であらわすのが特徴で、これは、九州以外の地域ではあまり類例がないため、当地で独自の流行をみせた表現と考えられている。
多聞天像は持国天像と材質が異なることに加え、体躯プロポーションや面貌表現などに明らかに硬さが認められる。像内の墨書が示す慶長3年(1598)は、制作時期として相応しく、この時持国天像に合わせて造られ二天像として安置されたと思われる。兜を別材製とし、鎧の文様を彫出するなど持国天の造形を継承する意識が強く、一具で祀るために制作されたことは疑いない。
九州独自の神将形像の典型を示すことに加え、こうした表現が長きにわたって強い規範性を有したことがうかがえる点も貴重である。
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