比恵遺跡
紹介文
比恵遺跡は、那珂川と御笠川に挟まれた丘陵上に立地し、縄文時代の終わり頃から戦国時代に至るまでの集落、墳墓地として知られている。
福岡市教育委員会が実施した第8次(1984年)と第72次(2000年)の発掘調査によって、3本柱の柵に囲まれた倉庫と考えられる10棟の総柱建物が出土した。建物の時期は、6世紀後半から7世紀後半と考えらる。柵は、北辺と南辺が確認されただけで、東辺と西辺が調査区外のため、全体規模は明らかではないが、周辺の調査などから、南北55~58m、東西50m以上の方形区画が推定されている。
これらの遼構は『日本書紀』宣化元年(536年)の条に記述されている「那津官家」に関連するものと考えられ、極めて歴史的価値が高いものといえる。
「那津官家」とは、大和政権が朝鮮半島情勢の緊迫化を受け、国内基地として造営したものである。政治的、軍事的な機能を持ち、7世紀後半に大宰府が設置されるまで、その役割を担っていた。
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