誓願寺
紹介文
真言宗御室派で、山号は登志山と号する。
怡土荘の仲原氏太娘の発願により、僧寛智が建立したものである。嘉応2年(1170)に阿弥陀像の造立、大般若経の書写、法華経持者千人を置くという三種の誓いをたて、承安元年(1171)から同5年の間に阿弥陀像の造立と建物の建立を行っている。
今津から糸島郡全域にかけて、平安時代末期には怡土庄が存在した地域である。怡土庄の本家は法金剛院、領家は最初待賢門院、久安元年(1145)以降は仁和寺であり、総田数は天文2年(1533)の史料によると千八百町余に及ぶ広大なものである。今津はこの怡土庄の年貢等の積み出し港としてだけでなく、それまでの博多にかわり、新しく大陸との貿易港として活気を呈してきたところである。今津には梶取、水手等の水運業者が多数住んでおり、誓願寺は彼らの深い帰依と保護のもとにあったと考えられる。当寺にはこれらの面影を残す貴重な文化財が数多く伝えられている。かつては42の子院を持ち、かなりの規模を誇っていたが、今は大泉坊だけが残されている。
臨済禅を日本に伝えた人物として著名な栄西と当寺との関係は深く、当寺の建立頃は当寺を活動の拠点とし、2度目の渡宋を果たす文治3年(1187)まで誓願寺に滞在した。この間、宋版一切経の入手に努めた。
栄西自筆の盂蘭盆縁起は国宝に指定されている。また、誓願寺に伝わる銭弘俶八万四千塔や孔雀文沈金経箱は国指定の重要文化財である。
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