飯盛神社
紹介文
飯盛神社は旧早良郡7ヵ村の惣社で、誉田別命(ほむだわけのみこと)・伊弉冉命(いざなみのみこと)・玉依姫命(たまよりひめのみこと)を祭神とする。飯盛山を御神体として、上宮、中宮、下宮の三所が祭られていたが、現在は下宮のみ残されている。その起源は不明であるが、上宮跡である山頂からは永久2年(1114)の銘を持つ瓦経が発見されており、古代にさかのぼる可能性は高い。
飯盛神社は早良郡の一宮であったと考えられ、鎌倉時代には73町余りの社領を持っていたが、戦国時代の頃になると衰退し、社領も18町余りに減少し、その信仰圏・宗教的勢力圏も飯盛神社を中心とした早良平野中央部分に限定されている。
本殿(市指定)は天明6年(1786)建立。南北朝時代の宋風の石造狛犬(県指定)、飯盛神社文書(市指定)が蔵される。また、その年の豊凶を占うかゆ占は県指定の無形民俗文化財。10月9日には市指定の無形民俗文化財である流鏑馬が行われる。
また、神宮寺真教院の跡地には文殊堂が建つ。
真教院は鎌倉時代には奈良西大寺の末寺であり、この地方の真言律宗の中心として栄えた。堂内の元弘3年(1333)仏師堪幸作の文殊菩薩騎獅像(市指定文化財)は、康永元年(1342)の神宮寺開山十三回忌において、神宮寺の本尊として安置されたものである。
文殊堂の周辺には三基の梵字板碑がある。貞和5年(1349)の板碑(市指定文化財)は、文殊菩薩を表わす梵字(マン)を刻む。
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