筥崎宮神幸行事
紹介文
筥崎宮の御神幸は、放生会の期間中に、隔年(西暦奇数年)9月12日から14日にかけて執行されている。古くは博多夷町の頓宮まで、海上渡御の御神幸であったのが、天正年中(1573~91)、戦乱による頓宮炎上とともに廃絶、元禄14年(1701)、神職等の願いにより神域内の松林に仮宮を設けて儀式が再興されたと伝えられている。
行事は9月1日の注連卸し・神輿潔めに始まり、12日の早暁(午前3時)、初日祭の祭典に続いて神輿への神霊遷しが行なわれ、同日夕刻本宮を発御、三体の神輿が高張提灯・鐘・太鼓・清道旗・八ッ旗に先導されながら、獅子・幣帛・大小榊・太刀・弓矢・随身・駒形等の供奉を従え、伶人の奏楽を伴って約4時間にわたり氏子地域を巡幸、箱崎浜頓宮に遷御する(お下り)。頓宮に一泊した神輿は14日夕刻頓宮を発御、同様の供揃えで往路とは逆の巡路をとって旧箱崎村内を巡幸し、本宮に還御する(お上り)が、最後は勇壮な“走り込み〃で神幸行事の幕を閉じる。この間、巡路に面した各家では門提灯を灯し、氏子が表に出て神輿を拝み、子供が奉持する賽銭箱に賽銭を投じる。
各地の神幸祭が、多くは昼間、本宮と御旅所の間を往復するだけという形をとっている中で、この御神幸は夜間、しかも長時間をかけて氏子地域を一巡しながら遷幸・還御を行なうところに古態がとどめられている。行列の組立てにしても、神社に保管されている文化8年(1811)の「秋祭遷幸之図(上下2巻)」と比較するとき、座主坊・社僧等の供奉を除けば、枢要な部分は江戸期のものを殆どそのままに近い姿で踏襲しているのがうかがわれ、3体の神輿にも、一ノ戸・ニノ戸・三ノ戸という古い呼称が用いられている。また、神幸行事の運営に当たっても、宗教法人化に伴う氏子組織の再編成がなされている中で、旧来の社家・氏子地域(旧箱崎村と門前町の馬出)の奉仕分担がそのまま継承されている。すなわち、社家では世襲制に一部変動がありながら、飾職・御炊・伶人の職制が維持されており、旧氏子地域の奉仕も、上社家町・下社家町・宮前・馬場・郷口の社領六町が駕輿丁、海門戸・米一丸・帝大前(海門戸三町)、阿多田・小寺(箱崎)、寺中(馬出)の三地区が、それぞれ一ノ戸から三ノ戸までの鐘・太鼓と獅子を受持ち、行列供奉の中心となっている。
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