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木造弥勒如来坐像 東区

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指 定 市指定
区 分 有形文化財
種 別 彫刻
所 在 地 福岡市東区馬出5丁目36-35
時 代 平安、鎌倉
所 有 者 宗教法人 恵光院

紹介文

 衲衣は、左肩を覆い、右肩に軽くかかるようにまとう。結伽扶坐し、右手は上品(親指と人差指を合わせる)の来迎印の一手をあらわし、左手は珍しい触地印の形である。 頭部は細かい螺髪が乱れなく彫り出され、髪際で40個、地髪部で8段、肉髻部に14段並ぶ。耳環及び三道をあらわす。
 頭体部は一材からなり、頭部は耳後で割矧ぎして内刳りする。玉眼は同部を開けて嵌入した後補と考えられる。体部は背板(後補)別材で地付きまで内刳りを施す。両腰は別材の三角材をあてるが、左腰材は欠失。右手下腕部、左手首及びその袖口部は別材の後補。膝前は約3cm幅の襠材を挟み、横一材を内刳りし、体部に合わせるが、現在は体部と離れる。裳先材は欠失している。
 本像は像高69.5cmの小像ではあるが、丸くおだやかな像容、細かくととのった螺髪のていねいな彫り、彫りの浅いゆるやかでのびのある肉体の表現の確かさなどから、藤原仏の様式を残した、都ぶりの造りのすぐれた出来の如来坐像といえる。構造も一木造で、背板をつけ内刳りするなど古様の造りである。ただ、やや鎬立った目・眉の表現や、鼻高で頬が張った立体感がもたらす印象は、時代の降下を思わせる。鎌倉時代初期を下らない作かと見られる。
 本像は、元筥崎宮社僧の寺坊の一つであった五智輪院弥勒寺の本尊であったが、明治の神仏分離の際、五智輪弥勒寺の末寺であった恵光院に移されたものである。

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