文化財情報検索

蒙古碇石 東区

印刷する

1.蒙古碇石
指 定 県指定
区 分 有形文化財
種 別 考古資料
所 在 地 福岡市東区箱崎1丁目22-1
時 代 鎌倉
所 有 者 宗教法人筥崎宮

紹介文

 博多湾を中心として発見される特殊な考古資料に、「蒙古碇石」がある。
 全長が2~3mの角柱状の石で、中央部が最も広く、両端がややせまくなっている。表面に粗い加工痕があり、稜線を面取りしたものもある。中央部に広狭2つの枠帯・溝が掘り込まれ、碇として固定するための工夫がみられる。現在のところ佐賀県呼子町可部島の全長320cmが最も大きい。重量は190~584kgと幅がある石材は凝灰岩質砂岩ないし花崗岩が大半を占めるが、玄武岩製もある。
 これらの碇石の年代を特定する資料はないが、供養塔に転用され、延文3年(1358)や正安4年(1302)の年号が彫り刻まれているものがある。この事例から14世紀には他へ転用されていたことが想定され、二度にわたる蒙古襲来(1274年と1281年)時に、元の軍船に使用されていた可能性は高いが、平安時代以来頻繁に来航した宋の商船に装着されていた可能性も少なくない。

 筥崎宮の蒙古碇石は一の鳥居をくぐって、参道の南側、唐船塔・大楠の向かい側にある。現在、2個の碇石が据え置かれているが、向かって手前の碇石が指定を受けているものである。

 

その他の写真

地図

近隣の文化財

  • 1 石燈籠一基 東区

    1.石灯籠(南から)
     本殿に向って右側に立っている。花崗岩製で、笠、火袋、中台、基礎など、全体の基本となる各部は六角形に作る。  鎌倉時代の石燈籠に見るよう...
    詳細を見る
  • 2 筥崎宮 東区

    2.楼門と筥松
     筥崎宮は応神天皇・神功皇后・玉依姫命を祭神とし、延長元年(923)、穂波郡大分八幡宮から移設されたのが創建とされる。神功皇后は応神天皇を生...
    詳細を見る
  • 3 筥崎宮神幸行事 東区

    3.氏子地域巡幸
     筥崎宮の御神幸は、放生会の期間中に、隔年(西暦奇数年)9月12日から14日にかけて執行されている。古くは博多夷町の頓宮まで、海上渡御の御神幸...
    詳細を見る
  • 4 筥崎宮鳥居 東区

    1.一の鳥居(西から)
     この筥崎宮の一の石鳥居は、最も多い明神鳥居の一変形で、黒ずんで荒い肌を見せている石材は、肥前鷹島(現長崎県)の産である。柱に「于●慶長第...
    詳細を見る
  • 5 筥崎宮の玉取祭 東区

    3.競り合い 1
     1月3日に集団で競って玉取を行い、その年の吉凶を占う正月行事であり、通称「玉せせり」と呼ばれる。玉せせりに使われるのは重さ8kgほども...
    詳細を見る
  • 6 筥崎宮拝殿 東区

    1.拝殿(南から)
     本殿同様に天文15年(1546)年、大内義隆が建立したものである。宗像神社と同じく本殿の正面中央部にT字形をなして接し、妻を正面とした切妻造...
    詳細を見る

近辺情報

時代別検索

エリア・マップ検索

種別検索

キーワード検索

  • クリア
  • 検索
カテゴリーの紹介
建造物
絵画
彫刻
工芸品
書跡・典籍・古文書
考古資料
歴史資料
無形文化財
無形民俗文化財
有形民俗文化財
史跡
名勝
天然記念物
文化的景観
伝統的建造物群保存地区
選定保存技術
埋蔵文化財
その他