櫛田神社の力石
紹介文
力石とは力だめしをする石のことだが、その由来は神霊の依坐である石を持ち上げることで豊凶・天候・武運等の神意を伺う石占の信仰に遡ると言われている。又、米一俵分の重さを担ぎ上げる力が成人の資格と考えられ、それを証すために用いられた力石もあった。しかし、やがて本来の意味を失い、若者の力自慢の道具と見られるようになっていった。ところで、ここに揚げた力石には以下のような銘文が刻まれている。
第一石表、「奉納 博多麹屋番 四拾六貫目 富田久右衛門持之 文政十三年五月」同裏、「いつまでもかわらぬ御代の力石六十一で心持良さ」
第二石表、「奉納 力石 世話人鰯町下 江戸神奈川権次郎持、稲毛平次郎 同春吉 竹田平兵衛 入船茂助 壹州屋伊助」
第三石表、「差石 四拾貫目 下鰯町南川清助 成田茂助 上鰯町安野善兵衛 世話人漆島伊助 斎藤善三 佐藤治平 成田辰右衛門」
鰯町は那珂川河口東岸に沿った船問屋や商人宿の町であり、櫛田神社所蔵の『店運上帳』(県指定文化財)によると慶応2年(1866)の鰯町の運上銀は1万匁以上の額にのぼり他町を圧している。上鰯町・下鰯町はそれぞれ現在の須崎町・対馬小路にあたる。
太宰府天満宮に奉納されている力石(県指定文化財)の一つには、「備後尾道住人利七、博多世話人角力連中 同鰯町若連中、頭取床孝、嘉永七甲寅年」とあり、(博多)角力連中の存在や、鰮(鰯)町の若者組の相撲愛好ぶりを示している。
第二石、第三石に見える壹州屋伊助と漆島伊助は『店運上帳』にも見え、船問屋の経営者であることが知られる。
第一石の富田久右衛門は福岡藩御用の素麺屋であり、画家富田渓仙の曽祖父。
第三石の「差石(サシイシ)は沖縄でいう力石のこと。
博多津中には相撲を職業とするものたちが居たことが知られ(「博多角力連中」、櫛田神社蔵「子供角力図」絵馬銘文)、彼らは雨乞の相撲、他国への勧進相撲などの興業を行っている(『博多津要録』)。本力石も単に港町の若者の力自慢を伝える名残りとしてではなく、その背景に「博多角力」を置いて見られるべきものであろう。
なお、平成十二年に御遷宮を記念して近年有名な力士の力石が奉納され、境内の一角に指定文化財の力石と一緒に並べて置かれている。
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