妙楽寺
紹介文
東長寺東側を南北に走る御供所通りの奥にある。臨済宗大徳寺派。山号は石城山。正和5年(1316)、大応国師(南浦紹明)の法弟月堂宗規の開基。石城は元寇防塁にちなむ博多の異称。草創の寺地は博多湾岸の沖の浜にあった。遣明使一行が宿泊するなど対外交渉の一拠点になっていた。明僧来復の詩文にある呑碧樓、潮音閣の建物は、寺内に掲げる篇額にその名を残す。
天正年間に焼失し、黒田長政入国後現在地に移転した。
本堂裏の墓地には、黒田家重臣の墓石が立ち並び、博多の豪商である神屋宗湛の墓が残る。また、開山堂の一角には、鎖国の禁を破り長崎で処刑された伊藤小左衛門の墓がある。
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