鴻臚館跡
紹介文
海外からの使節や商人たちを迎え入れた鴻臚館は、飛鳥時代後半から平安時代後半にかけて日本の玄関口として設置された迎賓施設で、遣唐使や僧侶らを海外へと送り出す役割も持っていました。
「遠の朝廷」と謳われた大宰府の外交窓口として整備され、平安時代に鴻臚館という呼び方になりましたが、それ以前は「筑紫館(つくしのむろつみ)」と呼ばれていました。
鴻臚館は平安京(奈良)、難波(大阪)、筑紫(福岡)の三ヶ所に設置されましたが、遺構として確認されているのは福岡の鴻臚館だけです。鴻臚館という名称は、古代中国で外国との交渉を司る「鴻臚寺」に由来し、「鴻」には大きい、「臚」は伝えるという意味があります。
鴻臚館(筑紫館)の役割は、唐や新羅からの使節を迎え入れるための迎賓施設だけではなく、遣唐使や遣新羅使、海外に留学する渡海僧侶らが旅支度を整える対外公館でもありました。時代が下ると外交の機会が減る一方で、鴻臚館を訪れる主役は唐や新羅からの商人となり、交易の場となっていきました。貿易の拠点が博多に移るまで、鴻臚館は古代日本最大の国際交流の拠点でした。
鴻臚館の位置については、博多部とするなど諸説ありましたが、九州大学教授の中山平次郎博士が『万葉集』や古地図、瓦などの出土遺物の検討から福崎(福岡城内)を提唱し、それが定説化していました。
昭和62(1987)年12月、平和台野球場改修工事に伴う発掘調査で鴻臚館の関連遺構が確認され、中山博士の推定が正しかったことが証明されました。それ以降、鴻臚館の全容を確認するための調査が継続して行われ、平成16年には国史跡に指定されました。鴻臚館が所在する福岡城跡も国史跡であり、全国的にも珍しい二重指定の史跡となりました。
発掘調査では多量の瓦類のほか、中国越州窯青磁をはじめ長沙窯陶器、邢窯白磁、イスラム陶器、西アジアガラス器など国際色豊かな遺物が発掘されており、これらの出土遺物の一部については史跡内に併設されている鴻臚館跡展示館で観覧することができます。
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